その夜、廉とデイビッドは鳴海の叔父である鳴海典弘と久志と一緒に一席を持った。
鳴海の叔父たちは、叔母の礼子が会社をおかしくしていくのにたまりかねていた。鳴海典弘は自分には会社を立て直すことはできないが、アリオンの200人の従業員に責任があると言った。
廉は祖父からこの話を聞いたときに、鳴海の叔父たちのためにもアリオンを何とかしなければと思ったのだった。
鳴海典弘が行きつけの築地の小さな小料理屋で食事を取った後、4人はもう一人の叔父である久志の案内で銀座のピアノバーへ向かった。
久志は自分でもピアノを弾くため、なかなか良い店を知っている。これまでも何度か廉たちは彼らとこのような席を持っていた。
その日、久志に連れられて行った店は、銀座の通りを少し下って一筋路地に入ったところにある一階が花屋になっているビルの地下にあった。
Jという名前のそのバーは、一番奥にピアノの置かれた小さなステージを持っていた。そこを囲むようにして少し高めのパーティションを持ったテーブルが配置されている。
その囲みのおかげでそれぞれのテーブルはプライベートな空間を保ち、またステージからの音をしっかり拾うようなしくみになっている。廉は店の入り口近くの空きテーブルでその設計に感心した。
久志の話によると、このバーでは6時から11時まで1時間に20分ずつのピアノステージが組まれており、普段は音大の学生がジャズを弾き、週に何度かは歌手が入るということだった。
今日は残念ながらピアノだけだ。
廉たちが店に入ったのは9時のステージの直前だった。ママの純子が挨拶をしてる最中にその騒ぎはおこった。
店の雰囲気に合わない若いグループ客と常連らしい年配の客たちが喧嘩をはじめたのだ。
その若い騒がしいグループの一人が酔って年配の男性客の首を締め上げた。
廉たちはまだ席にもついておらず少し遠巻きに騒ぎを見ていた。これからステージに向かうピアニストが心配そうに廉のそばで次の出番を待ってステージの隅で譜面を抱えて立っている。
廉とデイビッドはそのピアニストをかばうようにたっていたが、騒ぎが大きくなりはじめて3人は逃げ場がなくなってしまった。
そうこうしているうちに、別の客も入って揉みあいがさらに大きくなり、誰かが一番隅にいたピアニストの背中を突然、ドンと押して突き飛ばした。
彼女は持っていた譜面を前に放り出すような格好で、ものすごい勢いで壁にあたって手をついた。
譜面が床にばらばらと落ち、散乱した。
「Oh! Are you all right?」
手首を抑えながら彼女は振り返った。その美しい顔が痛みに少しゆがんだのを廉は見逃さなかった。
彼女にぶつかったのは騒ぎで突き飛ばされた久志だったが、久志は自分が起き上がるだけで精一杯で何が起こったか良くわかっていなかった。後ろからデイビッドが心配そうにピアニストを覗き込んでいる。
「大丈夫です」
騒ぎをよけるようにして、散らばった譜面を拾い上げながら彼女は答えた。その途端、廉は自分も誰かから肘鉄を食らった。
それまで黙って見ていた廉は、おさまる気配のない彼らに腹を立てた。そして酔って大騒ぎしている若者たちを怪我させないように気をつけながら一人ずつ締め上げていった。
最近でこそやっていないが、廉は形柔道の有段者である。型とはいえ、素人相手にけんかをして負けることなどありえない。
店の黒服が警察を呼び、バツの悪くなった若者たちは、警察が来ることを察知してこそこそと逃げるように店を出て行った。
スタッフが調度品を元に戻し始めると、廉とデイビッドは譜面を一緒になって拾った。ママの純子が廉たちのところへ謝りに来た。
「申し訳ございません。鳴海さま。それにありがとうございました。大事にならずに済みました」
「ありがとうございます」
ピアニストも一緒に頭を下げた。
「手は大丈夫? すごい音がしたけど」
「ええ。大丈夫です。どうぞお席に」
彼女がテーブルの方を示し、彼らは店の中でも非常に良い席に案内された。
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