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 カデンツァ 第一章   


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次の火曜日の午後、泉は高田の教官室にいた。コンクールの募集要項は理解したが、交響曲など書いたことがないこと、またパソコンも非常に古いものなので、それを使って何かするのは難しいことを伝えた。

高田はピアノでかまわないので、テーマを決めて起承転結させる形のものを想定するように言った。そして、泉にピアノを弾かせて、パソコンで譜面を自動的に作成させる方法を教えた。

高田は泉の弾いたものをアナログで録音し、フリーソフトを使ってそれをMIDIのファイルに変換し、譜面にして見せてくれた。

こういうやり方があるのは知っていたが、実際に見せられると、あらためて感心させられる。

自分で譜面を書かなくていいなんて!

高田はいつもは市販のもっといろいろな機能がついたソフトを使っているようだったが、自分にはとりあえずこれで十分だ。

高田は作曲科の講義で使っている資料を泉に渡した。自分のパソコンがどこまでできるかわからないが、これがあればダウンロードしてソフトを入れたり、録音してパソコンに取り込むぐらいはできそうだ。

そして泉は家に帰って自分でそれができるよう、何度も高田のマシンを使ってやり方を確認した。

夕方、授業が終わった後、泉は同じ講義に出ていた博久と奈々子と一緒に学校を出ようとしていた。彼らはもう家に帰るだけだが、泉はこれからアリオンでバイトに行かなければならない。

「泉さん、高田先生のレッスンってどう?」

奈々子が興味津々で訊ねた。ピアノ科の人間の間では泉がピアノで出ないことが結構な話題になっているらしかった。

「どうって言ってもね。レッスンって感じじゃないの。まだ1回目で、何にもしてないし。パソコンの使い方を習っただけ。たぶん作曲科では授業で教えてるんだと思う」

「ふうん。で、泉さん、パソコン持ってるの?」

博久がこれまた面白そうに訊く。

「フフフ。3年前くらいのが一台、部屋に置いてあるわ。働いてた時に友人から安く譲ってもらったの」
「僕に手伝えることがあったら言って。できることはするから」

博久は家にかなり良いコンピュータを持っている。今日、高田から教わったようなことはもうずっと前からやっているはずだった。

「ありがとう。そう言ってもらえると心強いわ」

これから本当に高田についていけるのか不安だった泉は、博久がそう言ってくれて少し安心した。

「あ、ところで、今日の夜、デラロサでまたセッションするんだけど、泉さんも来ない?奈々ちゃんとこれから行くとこなんだ。真紀ちゃんも出るよ」

そういえば、前にそんなことを真紀から聞いていたような気がする。

「バイトが終わるの9時ぐらいなんだけど」

「ああ、なら大丈夫。たぶん1時ぐらいまでやってるから。明日、2講目からでしょ?」

「そうだけど…」

「きてきて。泉さん。私、ライブハウスで一人で座ってるのって、なんだか落ち着かないの。お願い」

泉の袖をちょっと引っ張って奈々子が言う。妹みたいにかわいい奈々子。

「わかったわ」

「じゃ、これ」

泉の返事を最後まで聞かないで、博久は「デラロサ」のテーブルチャージ半額チケットの束をかばんの中から取り出した。

「デラロサ」はもともと学生も多いので、全体的に料金は安いのだが、店の関係者だけは半額で入れるようにチケットが配られている。博久はそのチケットの束から5枚ほどを無造作に取って泉に差し出した。

「こんなに?」

「いつでも、何度でも来て。なくなったら言って」

「私なんて、10枚ももらっちゃったわ」

奈々子があきれたように言ったところで、泉の携帯がぶうんと鳴りだした。慌ててかばんのポケットから取り出して電話に出ると、ルーシーだった。