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 カデンツァ 第一章   


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「IZU-MI-!!」

電話口の声は泣き出しそうだ。

「どうしたの?」

泉の声を聞いたルーシーは電話口で本当に泣き出してしまった。どうにも話ができない状態だ。

泉が困っていると、ルーシーの携帯に明らかに日本人の男が変わって出た。

「もしもし?あなた日本語がわかる人?」

「はい。あの、一体どうしたんでしょう?ルーシーに何かあったんでしょうか?」

「はぁ、この人ルーシーって言うんだ…で、うち青山でレストランをやっているんですが、お宅のルーシーさんのお友達が、店をめちゃくちゃにしていってしまったんですよ」

「はぁ」

ルーシーに友達?日本に友達がいるなんてきかなかったけど…それに店をめちゃくちゃって?

「それでですね。何とかしてもらわないと、うち、店が開けられないんだよね」

「あのぅ。ルーシーは今週の日曜日に日本に来たばかりで、日本の友達なんていないはず…」

「そんな言い訳聞きたくないよ!うちの店、どうしてくれるの!?今すぐ来て、何とかしてくれ!」

「何とかって…」

「ぐずぐず言ってもこの人は返さないし、警察呼ぶよ」

相手は相当怒っていて、電話では埒があかないようだったので、泉は仕方なく場所を聞いて電話を切った。

博久と奈々子が心配そうにしている。「どうしたの?」と博久が訊ねるので、泉は日本にやってきたばかりのルーシーのことと、今の電話の内容を伝えた。

青山に行って話をしてくるだけなら、まだ時間はある。どちらにしても放ってはおけない。泉がそこに行くと二人に言うと、博久が一緒に行くと言い出した。

「だって、あなたもデラロサで仕事でしょう?」

「そうだけど、相手が変な人だったらどうするの?僕は7時からだからまだ時間はあるよ。泉さんこそ大丈夫なの?」

「私は…」

言われてみれば、確かに一人で行くには不安もある。

「そうよ。私も行くわ。いざとなったら、誰か呼ばなきゃいけないかもしれないけど」

奈々子も心配そうに言った。

「ありがとう」

教わったレストランは青山の一番大きな通りから少し外れたところにあったが、最近外国人の客の間で有名になっている界隈だと奈々子が教えてくれた。

ルーシーにはこれから迎えに行くからと電話した。デイビッドにも知らせておくべきだと思ったが、ルーシーがどうしてもデイビッドには内緒にして欲しいと懇願するので、とりあえず自分が先に行ってみることにした。

きちんと話をすれば、許してもらえるかもしれないし。泉は甘い期待をしていた。

実際その店についてみると、中のテーブルや椅子は一角がめちゃくちゃになっていて酷い状態だった。食べ物が半分のっている皿が散乱している。

泉たちが店に入っていくと、奥に小さくなって座っていたルーシーが「IZUMI!」と駆け寄ってきた。

「どうしたの?なぜ、こんなことになったの?」

ルーシーの説明によると、一人で昼食を取るために街に出てきたが、アメリカ人の海兵隊員に誘われて、一緒にこの店に入った。

しかし、中に入ると、そこにたまたまいた知り合いの別の軍曹にしつこくからかわれ、店の中で喧嘩がはじまってしまったということだった。

二人は店の中をめちゃくちゃにした挙句、外に出てなお取っ組み合いをやっていたが、いつの間にかやってきた別の上官の姿を見ると、そそくさとどこかへ行ってしまった。

そして、恐ろしくてその場を動くことのできなかったルーシーだけがそこに残ってしまったのだった。

泉はルーシーが喧嘩をした彼らと知り合いではないことを説明したが、店のオーナーは、ルーシーが喧嘩をした片方の軍人と一緒のテーブルについていたので、それでは納得しなかった。

「このおねえさんが言うことを信用してやってもいいが、その前に、まずとりあえず店を片付けてもらいましょうか。それからあの人たちが食べた分と、ひっくり返った皿の代金は払ってください。現金で3万。それができなきゃ、警察に行ってもらいます」

3万。大金だ。これはどうしたものだろう?泉は店の中を見回した。

確かにそこそこの店ではある。一体何人分がダメになったのか、ひっくり返ったものからは想像もできない。しかし、傷んだ食器や家具もある。

「ルーシー、ちょっと」

泉はルーシーを店の隅に呼んだ。

「二度と知らない人について行かないって約束できる?」

「もちろん。約束する。ごめんなさい」

「じゃあ、ここを片付けたら、今日はまっすぐ家に帰るの。いい?」

「Yes」

まるで子供だ。ルーシーは肩をがっくり落としていた。たぶん本当に反省している。

「さっきの件ですが、お金はお支払いします。店も片付けますから」

泉は店のオーナーに言った。

「ええ? 泉さん、払うの?」

泉の返事に博久は驚いたようだった。

「ええ。お金で解決できるならそれが一番よ」

「当然です。早くやってください。こんなことになって、うちは大損なんです!」