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 カデンツァ 第一章   


                        -38-


「あんたら、彼女の保護者?」

近くにいた博久がモップを持ったまま泉のすぐ後ろに立っていた。

「別に泉さんが飲ませたわけじゃないよ。ここにつれてきたのは僕たちだけど、ついて来たのも、たくさん飲んでこうなったのも、彼女がそうしたかったからでしょ」

泉が責められていると感じた博久が廉に言った。

「君は…」

「僕は泉さんの友達。南博久です。この間、富田とあなたがここに来てた時、自己紹介しませんでしたっけ?ルーシーとも、この間から友達…かなぁ? ね、泉さん」

泉は博久に困ったように微笑んだ。そうだった。この二人、初対面じゃない。

「Ren, We're going back.....」

デイビッドはルーシーをおぶろうとしていた。廉はそれを手伝って、デイビッドの後からついて店を出ていった。

「なんだよ。あいつら。まるで泉さんが悪いみたいじゃないか」

博久はモップを床につき立てて、仁王立ちになって怒っていた。

泉は廉にあんなふうに言われたことがつらかったが、自分が何か特別な存在だったわけではないと思い直して、何とか自分を納得させた。

やはり、あの人とはどうにもならない…

「さて、わたしも真紀をつれて帰らなきゃ。博久くんも、もうすぐ終わり?」

「うん。やべぇ、終電なくなる。じゃ、泉さん。また明日」

博久は店の時計が12時をさしているのに気がついて、モップを慌てて掃除用具入れに返しに行った。

真紀もこのすぐ近くに住んでいるので、ちょっと送っていけばいいのだ。今までにも何度かこんなことがあって、博久は自分が真紀を送っていくことを知っている。

「真紀! 真紀! ちょっと、おきて!」

真紀は酔ってはいたが、すぐに起きて泉がそこにいることに驚いた。

「…どうしたのぉ。泉。なんでここにいるのぉ?」

「ちょっとね、ルーシーに用事があったの。さぁ、もうお店も閉まるし、帰るわよ」

泉は真紀の腕を取ってテーブル席のソファから立ち上がらせた。

「あーん、待ってぇ。靴はいてない…」

真紀がテーブルの下から自分の靴を拾い出す。ふらふらするのを腕で支えながら、泉は真紀に靴をはかせた。

「どれぐらい飲んだの?」

「大して飲んでないよぉ。コークハイ、4、5杯…」

「ここのコークハイの半分は焼酎なのよ。それは飲みすぎ」

なんとか靴を履いた真紀を腕に絡め取るようにして、泉はデラロサを出た。


「風が気持ちイー!」

部屋までの帰り道、真紀は泉に寄りかかるようにしてご機嫌だった。

奈々子は手のかからない妹で、真紀は手のかかる妹。どちらも泉にはかわいくてしかたがない。

自分に兄弟がないせいか、泉はそういう存在にずっと昔からあこがれていた。

「泉ぃ。ごめんねぇ…」

ご機嫌だった真紀が突然、泉に謝った。一体、何だというのだ。

「だってぇ、あたしぃ、ちょっとくやしかったんだぁ。泉がぁ、選ばれてぇ」

「選ばれたって、コンクールのこと?」

「うーん、そう」

真紀は頭を大きく縦に振った。あまりにそれが大きくて、真紀は泉と一緒によろけた。

「でもぉ。よーく、考えてみたんだけどぉ。やっぱりぃ、泉はすごいのかもと思ったのぉ。作曲でぇ、選ばれたのもぉすごいんだけどぉ、奈々が言ってたとーり。やっぱり泉のぉピアノぉ。あたし好きかもー!!」

真紀はそう言って泉に抱きついた。

「真紀…」

泉は大柄の真紀を後ろによろけながらもなんとか抱きとめた。

「泉ぃ。ピアノかぁやめないでねぇ。青山がぁ意地悪してもぉ、あたしが守ってあげるからぁ」

泉はそれを聞いて目頭が熱くなった。きっと、私のせいで嫌な思いをしたに違いないのに。

「真紀。ありがとう」

最近の鬱々とした気持ちが、さあっと晴れるような気がした。ここ最近起こったいろいろな嫌なことが、全てこの一言で消えてなくなってしまったようだ。

真紀がこんな風に言ってくれるなんて…泉はうれしかった。

「さ、かえろ」

泉は真紀の腕を抱えなおして、また歩き始めた。