翌日の夜はアリオンでバイトだった。
昼間、立ちっぱなしで働いた後のアリオンの仕事は、ものすごく疲れる。身体が疲れているのに、気力を振り絞って生徒の弾くピアノに耳を澄ませなければならない。
8時ごろ、泉が教室で生徒と話をしていた時、教室のドアのガラス越しに廉の姿が見えた。12番教室は一番奥の教室なので、何か用事がなければわざわざ来ることもない場所だ。
一瞬廉と目が合い、生徒から注意をそがれたが、すぐにいなくなってしまったので、泉はまた話に戻った。
一体、何しに来たのだろう。話しながらも気にはなった。しかし、泉はそのレッスンが終わっても受付の方へ戻ることなく、次のレッスンに入った。
最後のレッスンが終わり、泉がスタッフルームに勤怠のカードを返しに行った時には、既に廉の姿はそこにはなかった。
やれやれ、ばかばかしい。
自分では花をもらったお礼も言えないくせに、いつまでこんな風に彼の態度に振り回されるつもりなの? 第一、あんな風に私を責める人に何を期待していたの?
泉は自分を笑った。
スタッフルームを出た泉はそのままエレベータホールへ向かい、下に降りた。
エレベータから外に出ると、ビルのよどんだ空気から洗われるような気がする。今日こそ早く帰って身体を休めなきゃ。泉は身体も神経もくたくたになっていた。
ビルの角を曲がって駅へ向かおうとしたその時、泉は突然誰かに腕をつかまれた。
驚いて声をあげそうになったが、振り返ってそれをやめた。腕をつかんだのは廉だった。
「話がある」
廉は強い調子で言った。
「私はお話することなんてありません」
帰ってなかったの?泉はなんとか自分を掴んでいる廉の腕を振り払おうとした。
「どうしても、君と話す必要があるんだ」
もがくように廉の腕から逃れようとした泉だったが、男の力にはやはりかなわなかった。
廉は絶対に手を離すつもりはない様子だ。にらみ合っているうちに、廉がそのまま腕を取って歩き出した。
廉の車が近くに止めてある。
泉はむりやり助手席に乗せられた。そこで逃げ出すことも出来たが泉はそうしなかった。
廉は運転席に回り、車を発進させた。
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