「ではここから本題に入ります。アリオンの厳しい状況はお分かりいただけたかと思います。4月から私たちは本部の業務改革に取り組んできましたが、この7月からいよいよ各店舗で計画展開にはいることになりました。千葉君、次の資料を」
千葉が配った資料が配られるとすぐ、講師たちはそれに目を通し始めたが、すぐにあちらこちらでひそひそ話しが始まった。
それを静止するように森嶋は説明をはじめた。その資料には、教室運営に関しての改善項目と、講師への協力要請項目がつづられている。
今までのアリオンの体質からは考えらないことだが、アリオンは今後、音楽業界へプロフェッショナルと認められる人材を提供するための新事業を開始し、これまでの音楽教室のクラスに付随して、各楽器のプレーヤー・プロフェッショナルの養成コースを作るということだった。
それに関しては、業界にネームバリューのある講師がピックアップされる。よって、彼らが持っている生徒たちの何人かは普通クラスへ移ることになる。
また、一般のクラスでも、新規入会の生徒たちのクラス見学会を行い、なるべく自分の好きな講師のところへ行けるよう、希望制を取ることになるようだった。
これを時間をかけて、既存在籍の生徒にも広げていく考えだと森嶋は言った。
一方で、講師たちもスキルアップができるよう、他の楽器のレッスンを1つだけただで受けられるようにするとか、これまではプロだけを相手にしていたイベントプロデュースの別部門が、教育部門が開催するイベントのバックアップをするなど、それなりの体制を組むことになっているらしい。
しかし、講師たちへの要請の中で何をおいてもとりわけ一番大きいのは、給与体系に来年度から一部コミッション制を取り入れるということだった。
生徒数が一定ライン以上の講師はこの給与体系が取り入れられ、生徒数が増えれば増えるほど、コミッションの額が上がっていく。
ただし、それ以下の場合は、逆にマイナスとなり、最低ラインがアルバイトの泉たちの時給とほぼ同じところまで落ちてしまう。
プロフェッショナルコースの設立や、新入会生徒のクラス見学による希望制について、講師たちは特に何も言わなかった。
クラスの希望制については、場合によっては死活問題となる。講師たちの中には特にこれといった工夫もなく、漫然とレッスンしている者も多い。
本当はプレーヤーとして音楽をやりたいのに、食べていくために仕方なく講師をしている者たちもいる。
ネームバリューがあればそれでもカリスマとしてやっていける講師もいるかもしれないが、このやり方だと、生徒が集まらない講師は淘汰されていくことが明らかだった。
また、来年度からということで漠然としているが、コミッション制の導入については、誰がどう考えても今までより厳しい評価制度になっただけだった。
アリオンとしては、生徒をつなぎとめておけないのなら、講師としての価値を認めないと暗に言っているのだ。
プロフェッショナルコースへ移る講師については、また後日発表、コミッション制についても今年の秋までに詳細を決めるということで森嶋は話を終えた。
その後、質疑応答の時間が取られた。講師たちからは、もっと早く決まらないのかとか、契約の評価体制を変えることへの不満がいくつか出た。
しかし実際のところ、不満を言う講師はコミッション制になれば給料が下がるだろうと思われる講師ばかりで、あまり同調されるような意見でもなかったため、森嶋は軽く質問をかわしてその場を切り抜けた。
会議の最後、「私たちもがんばりますので、講師の皆さんもご協力お願いします」と鳴海が頭を下げた。
講師たちはそれを合図に立ち上がり、三々五々教室を出て行った。
泉も真紀たちと一緒に席を立ったが、その時、廉が自分の方をじっと見ているのに気が付いた。
泉はどうしていいかわからず、それに気がつかなかったふりをして、廉たちに遠い出口を選んで教室を出た。
講師の控え室に戻ると、ピアノ科の女性講師たちが数人集まって話をしていた。
「あの話どう?」
「さあ、私には良くわからない。インセンティブって、要は給料を下げるって事かしら?」
「私もよくわからないけど、能力次第ってことじゃないの?」
「じゃあ、生徒の人数が少ないと下がるって事?」
「それはそうかもね。でも基本部分との割合もあるし、一概には言えないかも」
「何でもいいけど、私はあの森嶋廉の顔が気に入った」
「そうそう!いまどきあんまりお目にかからない二枚目よね」
笑い声が講師室内に響いた。泉はそれを横目に次のレッスンの譜面を持って講師室を出て行った。
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