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 カデンツァ 第二章   


                        -10-


週末、廉は仕事を休めなかった。

土曜日は平日のバックログを片付け、日曜日は昼から夕方まで音楽制作者協会の会合があった。泉には大分長いこと会っていないように思う。

Jに行く暇もなかったし、泉には部屋が花でいっぱいになってしまうからということで花を贈ることも止められた。

A店にも昼間ちょっとだけ顔を出す程度だから顔を合わせることもない。

ただ、夜は必ず泉の携帯に電話を入れている。最近、ちゃんと食事をしていないとぼやいたら、泉は、この間ピンクペッパーに連れて行ってくれたお礼に、自分でご馳走すると言った。

それも外食ではなく、泉が弁当を作ってくると。

廉はそういうわけで会合が済んだ後、大急ぎで自分の部屋に戻った。

夜、泉が自分の部屋へ来る。密かな期待が廉の気分を高揚させていた。




部屋に戻ってシャワーを浴び、着替えをしている最中に泉はやってきた。

暑いので、廉はジーンズだけはいて泉を玄関に迎え入れた。首にバスタオルを巻いていたが、上半身裸の廉を見た途端、泉は驚いて扉を閉めそうになった。

「ああ、ごめん。こんな格好で。あんまり暑かったからシャワー浴びてたんだ」

泉はなるべく視線を合わせないように横を向いて、「こんにちは」と言った。顔が赤い。

廉はくすっと笑って、泉にスリッパを出した。

「入って。何か着てくるよ。キッチンは知ってるだろ?」

廉は背中を向けて、廊下の奥の寝室に入っていった。泉はまたびくびくしている。本当にあれで27だろうか。廉はクローゼットの中からTシャツを取り出して頭からかぶった。




泉は恥ずかしそうに廉の背中を見ながら、開けっ放しになっている廊下のドアからリビングに入った。奥のキッチンにはじめて足を踏み入れ、コの字になった周りをぐるりと見回す。

冷蔵庫に、3つ口のグリルつきのコンロ、その横に大きな食器洗い機、シンクも3つあり、うち一つはディスポーザーつきだ。

脇にオーブンと兼用の電子レンジが置かれている。食器戸棚は冷蔵庫の隣に置かれていて、上に引き上げる形のスライドドアになっていた。

中の食器もたくさんあり、こんなにたくさん誰が使うのか、泉が不思議に思っていることは間違いない。

「たくさんあるんでびっくりしてるんだろ?」

キッチンの入り口の鴨居に手をかけて廉が笑った。

泉が頷くと、廉はそばに行って後ろから泉を抱きしめた。

「ああ、一週間…すごく長かった」

廉は泉の髪に顔をうずめた。泉はいい匂いがする。香水とは違う石鹸のほんのり甘い香りだ。

泉の頬が気持ちよさそうに斜めを向いた。廉は泉の頬に自分の手を添え、身体を自分の方へ向けさせてできるだけ優しくキスした。

初めは羽が触れるようにかすかに、そして、その唇の形をなぞるようにしてから、ゆっくり深く。




「う〜ん…だめだ……」

突然、廉はうめいた。そして首を振りながら顔を離した。

「…何が……だめなんです?」

泉はうつろな様子で訊ねた。彼女は俺が今どんな気分かわかってないんだろうか。

「これ以上続けたら、ここで君を襲ってしまう」

廉は非難がましく泉に言い、泉は目を丸くして驚いた。そんなに反応されるとこっちも困る。そうでなくてももうすっかり自分の方は…

「じゃあ、やめますか」

泉は真顔にもどって身体を離そうとした。廉は慌てて泉を捕まえ、さっきよりきつく身体を抱きしめた。

「僕をじらして楽しんでるのか? あとで絶対後悔させてやる」

くすくす笑いながら抵抗しようとする泉の身体をしっかり抱いて、廉は自分の顔を泉の頬に寄せた。泉の手が廉の首に回ってきた。

泉にそうされるのがうれしい。彼女はたぶん自分を好きになってくれている。たぶん…

これまでいろいろと強引にやってきたが、裏目には出なかったということか。



「それで、今日は何を食べさせてくれるの?」

廉が耳元でささやいた。

フフと泉はまた笑って、「取り皿が欲しいんです」と言った。