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 カデンツァ 第二章   


                        -9-


「この間の情報、役に立ちましたよ」

声の主はいきなりそう言った。哲也は声こそたてなかったが、舌打ちしそうになった。

この男とも出来れば関わりたくない。だが…

「で、今日は何です」

決して快くはないと思われる声で哲也は訊ねた。小澤が入金してくれた金で、例の金融会社の件は一旦は落ち着いていた。しかし、哲也にはまだ他にもあると言うことは良くわかっていた。

「冷たいなぁ。僕は助けたつもりなんですよ。これでも」

不服そうに小澤が言った。

「用件を」

「ああ。では、簡単に申し上げましょう。欲しい情報があるんです」

「今度は何?」

「有楽町のブルーアクア跡地の入札価格」

哲也は顔をしかめた。ブルーアクア跡地の話は確かに聞いている。有楽町の再開発地区の一角で非常に良い場所にあり、今度作られる楽器屋通りの真中にあるのだ。

廉はそこにずっと前から目をつけていて、取締役会ではもうすぐ入札会があると言うことを聞かされている。

「そんな情報渡せるわけないだろう。大体、僕はそんな情報知らないし」

「今知らなくても、どこかで手に入れられるんじゃないですか?あなたは森嶋さんとはいとこなんでしょう?もちろん、今度のお礼はちょっとはずみます」

もし知っていたとして、この男に情報を渡すのは背任行為だ。

「君は一体…どこの人間だ?」

「少し考えれば、すぐわかるでしょう。まぁ、あなたも義理があると思うから、無理にとはいいませんが……そんなに悪い話じゃないと思いますよ。実際、あなたのところは、どうしても有楽町に出店しなければならないというわけではないでしょう?大体、他にももっと手を入れたらよさそうなところがあるじゃないですか。今回は成功報酬になりますが、3本は出しますよ。考えておいてください。また電話します」

そう言って、一方的に電話は切られた。


この間のことが本当に最後なら、金は必要ないはずだった。だが…

哲也は前に小澤から金を受け取って、消費者金融の始末をつけた後、礼子に他に借金がないのか問いただした。

いつものことだが、礼子はそんなのあるわけないとは言っていた、しかし、その言葉が本当だったためしがない。

また、小澤の言うことももっともな気がした。他の店舗を閉めながら、有楽町に新しいビルを構えるなんて、確かにちょっと変な話だ。

廉には廉の考え方もあるだろうが、小澤の言うように、他の赤坂とか新宿あたりに先に手を入れてもいいはずなのだ。


入札までにはまだ間があるはずだ。どうせ自分はいくらで入札するかも知らないわけだし。

哲也はそのことを忘れることにした。



8月に入り、廉は2週間後に控えているアリオンの60周年記念パーティや、夏休み中に行われる各店舗の改装工事のために全く時間が取れない状況になっていた。

アリオンの再建計画は確実に進んでいたが、業界の中ではアリオンの業績が悪くなっていることがだんだん表沙汰になってきている。

この噂を廉は、レグノの取引銀行の営業担当から聞いた。驚いたのは、アリオンの閉店計画が詳細に外部に漏れていたことだ。

年末までにアリオンは都内の5店舗を閉める予定だったが、店舗とその時期まで大体のことをその営業担当は知っていた。アリオンが抜けた後のところへはほとんど蔵野楽器が出店するらしいということも。

こちら側としては店を閉めるだけなので、その情報が漏れていたからといって大きな問題ではない。しかし、問題は一体誰がこれを漏らしたかということだ。


廉は一方で、もうほとんど会社に来なくなった礼子が、非常に金に困っていることを知っていた。

この段階で閉店のスケジュールを知りえたのは自分と千葉、それに父親の匡、それに礼子と鳴海の叔父たちである。

千葉や鳴海の叔父たちは絶対に考えられなかった。匡にしてもありえない。そうすると礼子ということになる。

閉店計画とは言っても、自分の会社の経営状態をもらすようなことは普通なら考えられないが、礼子ならありうる。特に金が介在すれば…

しかし、あの馬鹿な叔母が自分でそんな情報を売るなんてことは考えられない。多分誰か裏にいるのだ。


頭の痛い話だ。早いうちに叔母を何とかしなければ、こちらで進めている計画が台無しになる可能性がある。

廉はかわいそうだとは思いながらも、どうやって叔母にアリオンから手を引かせるか、真剣に考え始めた。