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 カデンツァ 第二章   


                        -8-


入谷の部屋の前に着くと、廉は黙って泉のシートベルトをはずした。

「泉…」

ドアに手をかけた泉を廉が呼んだ。泣くまいと思っていたけれど、涙でいっぱいになった泉は何とか顔を上げた。それを見た廉は驚いて、少し迷ったように言った。

「僕と付き合うのは嫌か?」

あなたと付き合うのが嫌?まさか!そんな風に思われたの?

ああ、一体この状況をどうやったら元に戻せる?泉はようやく口を開いた。

「わたし、今日、めいいっぱい努力してきました。あなたに…よく見られようと思って。でも…子供みたいって笑われそうだけど、さっきはちょっと…びっくりしてしまって…だから」

「泉…」

廉は大きくため息をついて、泉の顔に手をやった。そして自分の方へ引き寄せて抱きしめた。

「僕は別に急いでるわけじゃない。けど、そう都合よく止められない…もし、もう一回って言ったら?」

泉はうなずいて、自分を落ち着かせるように息を吸い、目を閉じた。

廉の唇が優しく触れる。そして、泉が逃げないのを確認すると、強く口を吸い、舌で口の中を探った。泉もこわごわだったが、それに応えた。

二人の間に走った雷のような何かのせいで、頭の中の回路は飛んでしまった。彼とのキスは正気を失わせる。



長く離れがたい口づけの後、二人はお互いに深呼吸した。

廉は泉の手を取って自分の大きな手の中に収め、その皮膚の感触を確かめた。

「僕をもっと知りたいって言っただろ?」

この間のことだ。こくんと頷いて泉は廉を見た。

「僕も君を知りたい。でも、君が嫌がることはしない。たぶんね…僕も男だから、保証はできないけど」

泉は頭にかあっと血が上るのを感じた。廉の顔が見られない。

「今度は、ちゃんと…普通に……」

廉は笑いながら泉の顔を上げさせた。

「いいんだ。そんなに難しく考えなくても」




ドアを開けて自分の部屋へ戻っていく泉を見ながら、廉は泉がもう少し楽に接してくれたらと思った。

自分といるとあんなに緊張しているのは、どうしてなんだろう?俺はまるで悪いことをしている大人みたいだ。

さっきのキスで彼女がこわごわでも反応した時は、正直言って彼女を押し倒すかもしれないと思った。けれど泉は大事にしたい。

廉は車を出して部屋に戻った。





今度、廉とゆっくり会う日はいつなんだろう?

泉は心の中で考えていた。もちろん自分から訊けばいいのだ。

そうすれば廉はきっと夜中でも時間を作ってくれるだろう。だけど、その時は多分…


27にもなって、この事に尻込みしているのは、他でもない、泉に経験がないからだった。

今までに付き合った男たちとは、どういうわけかそういうことにならなかった。寸前までいったこともあったのに、結局、経験することはなかった。

廉はまさか自分が経験がないなんて考えてもいないだろう。

今どき27までヴァージンを守る女がどこにいる? ほとんど天然記念物だ。


次にああいうことになった時は、逃げ出すなんてできない。でも、廉はきっと驚くだろう…

それも気が重いが…