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 カデンツァ 第二章   


                        -12-


タクシーの中で、廉は泉の手を握っていたが、二人は黙り込んでいた。デラロサの話が出た時に、おそらく泉に知れてしまっている。

デラロサと自分をつなぐのは理恵しかない。彼女にどう話したらいい?本当のことを言うか、それとも適当に何かを言ってごまかすか…


ごまかすと言っても、ごまかしようがないじゃないか…

廉は思い切って本当のことを言うことにした。嘘を言って、彼女を変に傷つけるようなことをしたくない。

「実は…僕はこれからデラロサへ行く」

廉は自分の手に力が入るのがわかった。

「理恵さんに会いに?」

廉は頷いた。

「というか…探しに。さっき、富田さんの家からうちに電話があって、彼女、昨日から家出してるらしいって」

「家出…ですか?どうして」

「彼女、ご両親とうまくいってないんだ。僕が知ってるのはそれだけ。ただ、上野の近辺にいるって誰かが言ったのを聞いて、彼女のお父さんが僕にも探して欲しいと言ってる」

泉がなんと思っているか、廉にはわからなかった。「すまない…」

「あやまらないで下さい。私……別に…大丈夫ですから」

泉は言ったが、その目は寂しげだった。



デラロサの近くまで来ると、泉が車を止めさせた。廉は泉をその先の泉の部屋まで送っていくつもりだったが、泉はここからなら歩いてすぐ帰れるからと言って車を降りてしまった。

廉がタクシーにここで待っていて欲しいと頼んでいる最中、泉は先に外で待っていたが、廉が降りると「送ってくださってどうもありがとう」と言ってにこやかに手を振りながら、小走りに自分の部屋へ戻って行ってしまった。

なんてあっけない。

彼女はきっと気分が悪かっただろう。あんな帰り方をさせるなんて……

自己嫌悪に陥りながら、デラロサの方を見ると、入り口に河部が立って、こちらをじっと見ていた。



「あなたが来るなら、僕は来なくても良かったんじゃないですか?」

廉は嫌味たっぷりに言ったが、河部は「行きましょう」と言って中へ入って行ってしまった。


その日、デラロサはいつもより大音量でアンプを鳴らすヘビメタバンドが騒いでいた。

暗い店内を目を細めて探していると、河部が廉に入り口の反対側のテーブルで一人で寝ている理恵を指差した。

廉と河部は理恵を引きずるようにその席から連れ出し、待たせていたタクシーに乗り込んだ。

タクシーの中から河部が富田の家に電話し、酔っ払った理恵を見つけて、今から連れて帰ると告げた。

理恵は廉が来たことはわかっていて、ずっと廉の腕にしがみついている。

白金台の富田の家まで河部が運転手に道案内して、理恵を連れて帰った。家に着いたときには理恵はすっかり眠りこけており、廉が背中におぶって家に入った。

富田の家では、理恵の父親と母親が珍しくそろって家にいた。それにこの前、教授に口紅をつけて理恵を激怒させた女もいたが、廉はほとんど何も話をせずに理恵を家の中に入れただけですぐ外に出た。

理恵はかわいそうだが、この家と係わり合いを持ちたくない。後は河部が何とかしてくれるだろう。

廉は河部が何やら理恵の父親からしつこく礼を言われているのを玄関の外で聞いていた。



富田の家からようやく開放された河部は、石の階段を降りながら廉に言った。

「さっき、タクシーでご一緒されてた女性は?」

廉は河部をにらんだ。

「あなたに関係ありません」

「廉さんも、隅に置けませんな。智香子さんが日本に戻ってこられてるそうですよ。例のパーティにはいらっしゃいます」


智香子が。

廉は声もなく河部を見た。

「そろそろ年貢の納め時では?お遊びもほどほどにして下さい」

河部はにやりと笑って、帰りのタクシーを拾うため手を上げた。



藤井智香子とは昔、結婚の話まで持ち上がった仲だった。智香子の父親は日本実業銀行の頭取である。

レグノは廉の祖父の時代からこの銀行に大きな融資を受けている。しかし、廉が米国の会社に就職し、レグノを継がないと廉が言ったことからその結婚話は立ち消えとなっていたのだった。


智香子が帰ってくるからと言って、別に何が変わるわけではない。ただ、父や母がまた結婚、結婚とうるさく騒ぎ出すのは目に見えていた。