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 カデンツァ 第二章   


                        -2-


夜、泉の携帯に廉から電話があった。後の3人がどうだったかは知らないが、電話が鳴ったとき、泉は自分の部屋のベッドに横たわっていた。

部屋に帰ってきて、顔と手を洗ってそのままベッドに倒れこんだのだ。廉からの電話は泉が気づくまでに3度あったらしく、携帯にその履歴が残っていた。

「どうした? なかなか出ないから心配した」

ベッドで起き上がって電話に出ると、廉が言った。

「ああ。すみません。私、すごく疲れてたみたいで、すっかり眠ってました」

「そうか。君の貴重な休みを使わせて悪かった。今日はありがとう。デイビッドもルーシーも喜んでた。君がうまくガイドしてくれたから」

「そんな。私はついていっただけですから」

廉に礼に言われるのはなんだかこそばゆい感じがする。自分が特別に何かしたわけではない。

「明日は予定は?」

廉は少しためらうように訊ねた。

「最近出かけてばかりなので、ちょっと身体を休めようかと思ってますけど」

「そう、じゃあ、明日はやめておいたほうがいいか」

電話の先の廉の声が沈んだのがわかった。

泉は「廉さんは、わかりやすい人ですね」と言ってくすっと笑った。

「そうさ。僕はわかりやすい人間だ。君が他の男といると頭にくるし、君がいい返事をくれればすぐ舞い上がる。仕事ではなるべく、そういうことがないように心がけてはいるけど」

廉の返事に泉ははっとして謝った。

「ごめんなさい。余計なことを…明日の夜なら大丈夫です」

泉も本当は廉に会いたかった。ずっと自分の気持ちに嘘をついてきたけれど、自分も廉に心を惹かれていることは間違いない。できれば自分も廉のように素直になりたい。

「ほんとに? じゃあ明日、三軒茶屋まで出てこれる? 行きたいところがあるんだ」

「ええ。良いですよ。6時ぐらいで良いですか?」

「うん。じゃあ、北口を上がったところにある病院の前で6時に。そこが一番近いから」

二人はそれで電話を切った。

泉はため息をついた。廉に付き合いたいと言われて、舞い上がってるのは私のほうだ。



この間からもう、廉のことが頭から離れない。あんなに警戒していたのに、どんどん深みにはまっていく。

音楽をやりながら生活を続けていくのに精一杯なのに、恋愛なんかにうつつを抜かしていていいんだろうか?

時間があるなら、練習するべきだし、時間があるうちに生活費を稼いでおくべきだ。

でも…

廉にか言われるたび、廉と何かあるたび、ぽうっとしてしまう自分を情けないことにどうにもできない。

この間、廉の車の中で彼に抱きしめられて、彼の香りで自分の神経は麻痺してしまったようだった。

もう一度、あの腕の中に抱かれたら、きっと抵抗なんてできない。

泉は自分の弱い意志をふがいなく思うと同時に、それならいっそ、たとえ一時でも素直に幸せな気分に浸れれば良いのにとも思った。