翌日、泉は地下鉄を乗り継いで三軒茶屋に向かった。
北口をあがって廉の言った病院の前に出ると、廉は既にそこで待っていた。着心地の良さそうな綿のシャツにベージュのパンツ。まるで男性ファッション誌に出てきそうなモデルのようだ。
昨日もそう思ったのだが、廉は意外と胸が厚い。背が高くてすらっとしているのに、いつもダークスーツを着ているせいで余計にやせて見えているが、実はしっかり筋肉がついている。たぶん何かスポーツをやっていたのだ。それに比べて自分は…
泉は自分の格好を振り返った。今日着てきたオフホワイトのワンピースは、自分がまだ働いていた頃、最後に買ったものだ。
足元はそのとき一緒に買った5センチヒールの白いサンダル。髪は少しカールして上げ、今自分にできる精一杯のおしゃれをしてきた。
けど、自分にできるのはここまで。この次は着ていくものが…
そこまで考えて泉は首を振った。
この次? この次なんて何も決まってないわよ。ばかね。
泉が小走りに廉に近づくのを廉は笑って見つめていた。すぐ傍まで来ても廉はそのまま口をきかなかった。
「こんばんは」
泉に声をかけられ、廉ははっとしたようだった。
「待ちました?」
泉が訊ねているのに返事がない。どうして?
「廉さん?」
泉が訊き直すと、廉はようやく口を開いた。
「ちょっと…見とれてた。反則だぞ。そんなにきれいにしてくるなんて。僕は普段着なのに」
廉は自分の足を少し上げて、靴下も履かずにサンダルばきなのを見せた。
「じゃあ、あなたを誘惑できそう?」
泉は笑ってスカートをふわりとさせてくるりと回ってみせた。本当に?本当にそう思ったの?
「全く…そんなこと言うのは、僕の前だけにしてくれよ」
廉は小さくため息をついたようだったが、ほんの一瞬の間に泉の手をつかんだ。
泉はびっくりして後ずさりしそうになった。しかし廉はその手を取って歩き出した。
「ごめん。引きずってた?」
しばらく歩いて、ふと廉が振り返った。よく見るとなんてハンサム。胸がどきどきする。
「いいえ、大丈夫」
首を振った泉を廉が見つめている。泉は廉に握られた手を強く握り返した。
廉が連れて行った店は、三軒茶屋から歩いて10分ほどのピンクペッパーというライブハウスだった。
今日のステージはBeats12だと店の前の看板に張ってあった。泉も聞いたことがある、最近売り出し中のビッグバンドだ。
ステージは19時からなので、まだ大分時間がある。店にはまだそれほど人もいなかったが、廉が予約を入れていたのか、二人は前の方の席に案内された。
「かなりうるさいけど、大丈夫?」
「ええ、もちろん」
泉が店を見回していると、店員がやってきた。廉はもうすっかり慣れていて、ほとんどメニューも見ずに何品かを頼んだ。
「よく来られるんですか? ここ」
「うん。昔から出入りしてるから。まぁ、地元だしね」
泉の問いに廉が答えていたとき、ステージの袖から、どう考えてもこれから演奏するのだと思われるスーツ姿の男が現れて、廉を見て目を丸くした。
「森嶋さん!」
その彼は譜面の束を手にして、うれしそうにステージから二人の席へやってきた。
「お久しぶりです」
「みんな元気?」
廉が訊ねると、彼は満面の笑みをたたえた。みんなって、廉さんはこの人たちのお友達?
「ええ。この間はありがとうございました。近いうちに佳樹とお礼にあがろうと言ってたんです」
「いや、僕は何も…」
廉は謙遜しているようなそぶりだ。
「サミーズの秋山さんに大分口ぞえしてくださったんでしょう? 僕は正直言って、今回はほとんど諦めかけてました」
「諦める必要なんてないよ。第一、まだインディーズだろ。早くその先を考えとかなきゃな。レコーディングに入ったらまた、陣中見舞いに行くよ」
「森嶋さんは気が早いですねぇ。おっと、時間がないので、またあとで」
彼はぺこりと頭を下げて、ステージに戻り、ドラムセットの譜面台に譜面を置いて袖に入った。
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