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 カデンツァ 第三章   


                        -23-


その日は月曜日だった。朝方、廉のところから戻ってきた泉は昨日のことで本当に疲れていたので、寝ていようと思ったのだが、2時間ほど寝たところで静岡の叔母からの電話で起こされた。

公子が倒れたと言うのだ。


泉はすぐ起きて身支度をし、新幹線に飛び乗った。叔母の話では、今朝早く公子の家に畑で取った野菜を持っていったら、玄関で倒れていたらしい。それから慌てて叔父を呼び、救急車で駅前の病院に運ばれた。

少し前から具合が悪かったようで、病院に行くように勧めてはいたと叔母は言った。この間帰ったときは何も言っていなかったのに。一体どうしてしまったというのだろう。

泉は自分が恋愛にうつつをぬかしている間に、こんなことが起こってしまったようでなんだか後ろめたい気分だった。


静岡で叔母から聞いた病院に着いた頃には昼になっていた。公子はナースセンターのすぐ隣の個室に入れられ、点滴を受けていた。泉が病室に入ったとき、叔母のさえがそばに座っていた。

「泉ちゃん…いらっしゃい。びっくりさせたねぇ。今、薬でねむってるのよ」

「叔母さん…」

泉は公子の顔を覗き込んだ。病室の明かりが暗いせいか、青白い。この間帰ったとき、廉のことで頭が一杯で、母の顔をちゃんと見ていなかった。あの時気がついていれば…泉は母に申し訳なく思った。

しばらく黙って公子のそばに座っていた泉に、叔母のさえが手をかけた。

「泉ちゃん。ちょっと話が……」

泉はさえに言われるまま病室の外に出た。二人は病室から少し離れた病棟の待合室のソファに座った。今日は日曜日なので、他の面会客もいたが、みなひそひそと小声でしゃべっていた。

さえは泉に何かを言うのに言葉を選んでいた。もともと優しい性格なので、何か本当に言いにくいことなのだということがわかる。自分が地元を離れるときも、公子はうちでやっていけるから大丈夫だと後押ししてくれた。泉はこの叔母には本当に感謝していた。

「あのね…実は姉さんが運ばれたときに調べてもらったんだけど、どうもすい臓の辺りに影があるって言われたの....ただ、この病院はちょっと小さいから、あんまり詳しくは検査できないんだって。だから、落ち着いたらすぐ、県の病院で見てもらったほうがいいって」

泉は聞いているのがやっとだった。さえもこんなことを伝えるのはつらそうだ。

「でもね。私は、県の病院じゃなくて、東京の大きな病院の方がいんじゃないかと思うのよ」

「叔母さん…」

「しっかりするのよ。泉ちゃん」

涙があふれそうになる。さえが泉の手を取って、まるで子供をあやすように背中をゆっくりたたいた。

しっかりしなければ。母には、もう私しかいないのだ。父がなくなって、本当なら東京で一緒に暮らせばよかったものを、母は私に迷惑がかかるからと言ってここで一人で生活していた。父も私もいなくなって、一人で暮らすには広すぎる家でどんなに寂しかっただろう。泉は母に申し訳ない思いで一杯だった。

結局、泉は2日間、病院にいた。公子は点滴をして落ち着いたので、とりあえず家に戻っても良いことになった。泉は担当医と直接話をして、東京の病院に紹介状を書いてもらい、すぐ検査できるようにしてもらった。

担当医は一刻も猶予はならないといった様子で、検査入院にするよう相手の病院に頼んでくれている。泉は公子に一緒に東京に来るように説得したが、公子はいろいろ準備があるので、あと2日だけ待って欲しいと言い、泉を先に東京へ戻らせた。

母の言うことを信用できないわけではないが、本当にちゃんと来るだろうか。泉は不安だった。ただ、さえが一緒についてくると行ってくれたので、泉はしぶしぶ家を後にした。


携帯には何度も廉から電話が入っていた。病院にいる間は電源を切っていたので、しらんぷりを決め込んでいた。このまま放っておいたらまた厄介なことになるだろうか。

けれど廉とはもう関わらないと決めたのだ。ほんの少しでも彼と関わったら、自分が抜け出せなくなる。

この間のことは、ただの契約だった。自分はやることはやった。あとは廉が約束をまもってくれればいい。泉は結局、廉のことは無視することにした。何かあったらその時だ。

それより、今日はアリオンのバイトの日だが、やはり早く引継ぎをして何とかしなければならない。Jは代わりがいくらでもいるから大丈夫だが、アリオンは生徒に迷惑がかかる。温子がまたものすごく怒るだろうな…

泉は新幹線のシートに深くもたれて目を閉じた。