40人以上もいる会議室の中から、一番初めにその姿に気づいたのは廉と一緒にその会合に出ていた千葉だった。
「森嶋さん。あの窓際の、左端から3番目に座ってる人…あれ、うちの生徒さんじゃないですか?」
千葉が言った方を見た途端、廉は自分の目を疑った。小澤悠征…泉のクラスの生徒だ。
「それでは、今日は新しくこの会合に参加される方をご紹介します。有楽町第2再開発地区のレストラン・フーシェ跡に入られるアリオン・ミュージックさん。同じく第2再開発地区の蔵野楽器さん。第2再開発地区はこれで、音楽関係の店舗が6店はいることになりました。ではアリオンさんから」
廉は小澤を凝視しながら立ち上がった。小澤は蔵野楽器の社長の隣に座っているのだ。どういうことだ……?まさか…
「森嶋さん…」
廉は千葉に促されてわれに返り、レストラン跡に作る予定の中規模のライブハウスと併設の音楽教室施設について説明した。有楽町に集まる会社帰りのビジネスマンやOLをターゲットに音楽教室を作ること。また、ライブハウスの方は、週に1回、オーディションを行って、アマチュアからプロへの登竜門となるライブハウス作りを目指すことなどを話した。
会合に出ていた経営者たちは皆頷きながら話を聞いていた。廉たちがビジネスをはじめようとしているこの地区は、もともとレストランや小さなブティックなど、あまりまとまりがなく、今まで何度も色々な店が出たり入ったりしているところだった。
そこを街が後押しして中堅の楽器店を集めて出店させるようにしたのだ。アリオンの他に、弦楽器の店が1店、ギターを扱う店が2店、CDショップが1店、後追いで来ることになっている。廉はこの地区が今まで有楽町になかった楽器屋の一角というカラーを持った商業地域に生まれ変わると思っていた。
ただこの地区の南側のもっとも場所の良い一角、もともと廉がねらっていた場所は、蔵野楽器が落札している。そこはアリオンがライブハウスをやるには少し場所が小さかったが、非常に良い場所だった。しかし、智香子の一言がその場所を諦めさせてくれた。
先の土地をあきらめた廉は第2再開発の少し離れた場所に残っていたところ選んだ。音楽をやる、音楽を聴くという、明らかな目的を持った人々は、多少駅から歩いたとしても足を運んでくれるだろうとふんだからである。それに第3再開発の地区がその先にあり、そこはレストラン街となる予定だったので、いずれはそこへ行く人々の通り道となる。
嫌な予感は当たるものだ。案の定、蔵野楽器として挨拶をしたのは小澤だった。蔵野楽器の企画部長だということだった。
つまり我々を偵察していたということか……偵察だけなら良いが…
廉はこの間、レッスン室で泉の肩に小澤が手をかけていたことを見ていた。泉はまさか…あれは泉とそうなる前のことだったが…
廉は小澤の挨拶だけは聞いていたが、その後の話をほとんど聞いていなかった。
泉のことを思い出したら、急に腹が立ってきた。あれから全く連絡が取れない。泉は完全に自分のことを無視している。電話してももう全く出ようとしないのだ。この間、自分の電話を壊したときに、電話番号を変えておくべきだったか。廉は少し後悔した。
今は仕事が忙しすぎて何も出来ないが、これが少し落ち着いたら、泉のことをきちんとしなければ。誰が何と言おうと、俺は泉を手放すつもりはない。
廉はあの後、泉と結婚することを本気で考えはじめていた。しかし、こんな状態で、あの頑固な泉を説得するのは至難の業だ。
まったく、大変な女に手を出したものだ。自分で自覚してるのかしていないのかわからないが、泉はどうしたって男の目を引く。あんなに地味にしているが、もともと美人なのは隠しようがない。おまけに事あるごとにその非凡な才能が明らかになる。
ピアノのことはずいぶん気に病んでいたようだったが、大学の教師たちもそれ以外の才能には気づいている。だから理恵が言っていた様に作曲でコンクールに出ることになったのだ。
それにしても…
俺は、泉のことを知らなさ過ぎる。彼女が今どうしているのか、小澤や阿部とどういう関係なのか、普段どんな風に生活しているのか…
「……さん? ……森嶋さん、終わりましたよ」
千葉に言われて廉ははっとした。会議室にいた人々が皆立ち上がって立ち去り始めている。
「ああ。ちょっと考え事してた」
廉がかばんに配られた資料を入れていると、会議室の扉から出て行こうとしていた小澤が不敵な笑みを浮かべて会釈した。
宣戦布告だな。
廉も同じように小さく会釈を返した。
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