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 カデンツァ 第三章   


                        -27-


金曜日、泉は奈々子から電話をもらった。明日ルーシーが帰国するのだという。

奈々子と博久は夕方成田へ見送りに行くらしかった。もし時間が許せばと言われ、泉はちょっと考えて、間に合うかどうかわからないが行けるようなら行くと答えた。

公子はここ数日落ち着いてきており、毎日来なくても良いと言われている。昼間、病院に行って公子の様子を見て、具合が良いようなら行くことにしよう。

ルーシーにも会いたいが、泉は奈々子に礼を言いたかった。本当は自分がはじめたことなのだから自分がするべきだったことを、奈々子が代わりにやってくれたのだから。


翌日、泉は病院で公子が落ち着いているのを見て、成田へ行くことにした。1時過ぎに病院を出た泉は、京急で成田に向かった。ルーシーの飛行機は夕方4時の便と聞いていたから、あまり時間はない。

成田の空港第1ビルに着くと、泉は奈々子に電話して、どこにいるか訊ねた。奈々子は泉がここに来たことに驚き、彼らが出発ロビーの一番奥、出国審査に向かう前の入り口にいると教えてくれた。15時20分を少し回っている。泉は大急ぎでその場所に向かった。

ルーシーを囲む一団はすぐ見つけられた。奈々子と博久が泉を見つけて手を振っていたし、何しろそこにはルーシーとデイビッドの他に廉も立っていた。

泉は自分の身体に何かがびりっと走るのを感じて、一瞬立ち止まった。

あれから――

廉の部屋から逃げるようにして帰ってから始めて目にする廉は、軽そうな綿の丸首の白いニットにジーンズというカジュアルな格好だ。今日は土曜日だし、休みなのだから当然だ。

廉が自分を見る目が鋭い。泉は廉の方を見ないようにして彼らに近づいた。



「IZU-MI-!」

ルーシーが泉に抱きついた。

「I'm missing you....」

泉は背の高いルーシーに抱かれるような格好でルーシーの背中をたたいた。ルーシーは、良い友達を紹介してくれてありがとうと耳元でささやいた。

「Lucy, It's time to go ....」

デイビッドが言うと、ルーシーは泉から離れて、デイビッドからスーツケースを受け取り、手を振りながらセキュリティチェックの方へ向かうゲートを抜けていった。奈々子が目を潤ませている。

ルーシーの姿が見えなくなると、デイビッドが奈々子たちに礼を言った。本当は自分がするべきだったことを奈々子と博久がやってくれたことにとても感謝していると言い、これから食事でもどうかと誘った。

泉はそれを聞いて安心した。デイビッドが常識のない人間だとは思わなかったが、ルーシーの面倒を見ているのを知っていながら、何も言ってくれないのも寂しいと思っていたのだ。

奈々子と博久はデイビッドが是非というので食事に行くことにした。泉は帰ろうとしていたが、廉がすかさず「話がある」と言って泉を引き止めた。

奈々子がそのただならぬ様子を見て泉を呼んだが、博久が奈々子に首を振った。

「どうして? 泉さんも一緒に…」

「二人にした方がいい」



博久は言った。デラロサで何度か廉と顔をあわせているうちにわかった。

この二人は、何か抜き差しならない状態になっている。それも、何か理由があって泉が避けているのだ。その原因は理恵かもしれないが…

ただ、この男は泉を愛している。そしておそらく泉も…

博久にはその時々の泉を思い出すことが出来た。

理恵が廉を呼べと言ったとき、一瞬、泉に浮かんだどこかに痛みを感じたようなあの表情。電話で廉と話をしていたときの目を伏せるような寂しい顔。こんなお願いをしたくないと言わんばかりだった。

そして、廉に会いもせず、自分の部屋に戻っていくときの何かを決心したような様子。

泉が廉のところへ飛び込んでいけないのは、何故なんだろう。





泉は廉に腕を取られたまま、博久を振り返った。

博久はちょっと口の端をあげて微笑んだ。まるで、大丈夫だからと言っているようだ。

彼は私の気持ちがどこにあるか知っている。

泉は沈んだ気持ちのまま、廉について行った。