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 カデンツァ 第三章   


                        -36-


「廉さん。河部です」

夜中の2時過ぎ、突然廉のマンションの部屋の電話が鳴った。河部の自分の名前を名乗る第一声が慌てている。まだ寝てはいなかったが、廉の神経がぴんと張り詰めた。

「何です。どうかしましたか」

「礼子さんがご自宅のマンションの部屋の窓から転落されたと連絡がありました」

「ええ!?」

廉は一瞬、言葉に詰まった。数秒間の沈黙の後、河部が続けた。

「大丈夫ですか?まだ詳細は私も知りません。警察から社長の所へ連絡があって、今、病院に搬送されたと。社長もすぐそちらへ向かわれるようです」

「どこです?病院は」

「新桜台のK病院です。私もこれからすぐ行きます」

「生きてるんですか。大丈夫なんですか。叔母は」

「運ばれたときは意識不明だということでした」


廉は急いでまた服を着替えて部屋を飛び出した。

まさか、自殺……

そう考えただけで、廉は自分のしたことに罪深さを感じた。自分は叔母からアリオンを取り上げたのだ。あの叔母から。




暗い気持ちで廉は病院の玄関をくぐった。ほとんど明かりは消えているが、ロビーと廊下の一部だけに明かりがついている。ロビーの公衆電話の前に河部が座っていた。

「廉さん」

「それで叔母は?」

河部は廉の目を見て口を閉ざし、首を振った。


だめだったのか……

「あちらです。社長もいらっしゃってます」

河部の後に続いて、廉は廊下を急いだ。煌々と明かりのついたエレベータが不気味だった。2階のICUの隣にある一室の前まで来ると、部屋の前で匡がベンチで頭を抱えるようにして座っていた。

「社長」

河部が声をかけると匡はゆっくり顔を上げた。憔悴しきっている。廉はこれまで父のこんな表情を見たことがなかった。

「中に哲也がいる。入るか?」

廉は頷いた。哲也がどう思うかはわからない。うらまれて当然だ。もし…叔母が自殺したのだとすれば……

匡の後に続いて、廉は部屋に入った。哲也は叔母の遺体のそばに座ってぼうっとしていた。

「哲也……」

廉が声をかけると哲也はほんの少し微笑んだように見えた。そして微笑んで涙をこらえていた。

「わからないんだ。まだ。何も……。大分酒を飲んでいたらしい……。警察は事故じゃないかって言ってる」

廉はどう声を掛けていいかわからなかった。

「おかしいだろ。俺、この人がいなくなればいいとずっと思ってたんだ。知ってると思うが、ずっと金をせびられてた」

「ああ」

座ったままの哲也の肩に廉が手を置いた。

「それなのに……。こうなってみると、それでもこんなことになるくらいなら、もっと何とかしてやればよかったと思うんだ。もう今更何も出来ないのに。おかしいだろ……」

哲也はそう言って声を立てずに涙を流した。

あんな母親だったのに、哲也は彼女をそれなりに大事に思っていたのだ。

廉は夜が明けるまで哲也のそばにいた。