病院の窓から見える近くの公園の木々が赤く染まり始めた頃、小澤から泉の元へまた電話があった。その週末、有楽町の第2再開発のキックオフパーティに小澤と一緒に行く約束をしていた。
小澤はその日の夕方、泉に六本木の美容サロンへ行くよう告げていた。どういうわけだか、ドレスも小澤が用意するというのだ。
そういう段取りに小澤は慣れているようだった。サロンというからには衣装はもちろんたくさんあるのだろうが。泉は病院を出て4時ごろ、ビルの谷間にあるその場所へ向かった。
泉が地図を確認しながらついたそのサロンは、確かに高級と言うに値するサロンだった。六本木の通りから外れたちょっとした大きな一軒家のようなところで、泉が中に入ると、サロンの女性がすぐ一人ついた。
泉は10分後にはバスローブ1枚にされていた。エステティシャンの女性たちは泉のことをなぜか皆、お嬢様と呼ぶ。たぶんお嬢様と呼ばれるにふさわしい女性たちしか来ないのだろう。泉は何度も楽にするように言われながら、寝台の上にうつぶせになったり、仰向けになったりして、体中の産毛をそられた。
顔そりが終わると、今度はヘアメイクが始まった。泉は顔そりの終わった自分の顔を見てずいぶんぴかぴかになったと思った。
こんな経験は初めてだが、なるほどきれいになっている。頭の方はカーラーがまかれて、余分な前髪は少し切られ、最終的には頭の上で巻き上げられた。遊びの髪がくるくるしているのがちょっとかわいい。
そして、その後のメイクは本当にお嬢様のように慎ましやかな薄化粧だったが、これはドレスに合わせてそうされたのだと泉は後から知った。薄いブルーのドレスで、泉が着ると、いつもよりかなり背が高く見える。
へぇ。これが私? 別人みたい。
泉はすっかり出来上がった自分を見てちょっと驚いた。鏡を見ながらフィッターが最終の仕上げをしていく。最後にサロンの責任者らしき女性が出てきて、泉を頭のてっぺんからつま先までなめるように見た。
「元が良いとここまで美しくなるのねぇ。久しぶりに、ちょっと感動したわ」
泉がと礼を言おうとしたその時、小澤がサロンに現れた。
濃い色のスーツに身を包んだ小澤もなかなかいい男っぷりだ。泉は小澤に腕を差し出されて、どうしてよいかわからなかったが、小澤は泉の腕を優しく取って、自分の腕に巻きつけた。
「どうもありがとうございました」
サロンの女性たちに見送られながら、小澤は外に待たせていたハイヤーに泉をエスコートした。ハイヤーの中で、泉が小澤の方を振り返ると、小澤はいつもの優しい笑顔で言った。
「ああいうサロンも、たまにはいいでしょう?先生は今日はものすごくきれいですよ。あ、先生って言うのはやめていいですか? 今日は泉さんと呼んでもいいかな」
小澤はうれしくてしようがないといった風だった。泉もあえてだめとは言わなかったが、本当は、そんな風に呼んで欲しくなかった。まるで恋人みたいだもの。
実は、泉はちょっと嫌な予感がしていた。もしかすると廉もそこに来るかもしれない。アリオンも同じ有楽町に店を出すことになっているのだから。
インペリアルホテルのパーティ会場に、小澤と二人で足を踏み入れた泉は、そのきらびやかな様子に一瞬目がくらみそうになった。
毛の長い絨毯に足を取られるのを気にしながら歩く。会場には少なくとも500人はいそうだ。再開発と言っても、これはほんの一部のはずなのに。
小澤は次々に知り合いを見つけて挨拶していくが、泉にとっては全くの初対面の人間ばかりだ。
30分ほども会場を歩き回ると、普段はかないハイヒールをはいた足が痛くなってきた。泉の歩みが遅くなったのに気づいた小澤は、「少し休みましょう」と言って泉を壁際のテーブル席へ連れて行った。
やれやれ。私はたぶん、ハンドバッグと一緒ね。泉は思った。
小澤はあの優しい顔に似合わず精力的に営業活動をする。泉を人に見せびらかし、それをきっかけに話を始めたりするのだ。
なんだかちょっと嫌な気もするが、今日はお願いされて連れてこられただけだし、小澤とどういう関係でもないのだから、自分も割り切ってこの役をこなさなきゃ。泉はふくらはぎを自分の手でマッサージした。
パーティが始まって1時間ほど経っただろうか。泉がそろそろ椅子から立とうとしたとき、小澤が人々の向こうからやってくる森嶋を見つけた。
「やぁ、森嶋さんだ」
ああ、やっぱり。さっきから誰かに見られているような気がしていた。たぶんそれは廉だったのだ。
泉はなるべく廉と視線を合わせないように会場の他のところへ視線を向けた。
「こんばんは」
なぜかちょっと勝ち誇った様子で小澤が廉に声をかけた。
「こんばんは」
廉のぎらぎらした目が泉を刺すように見た。
当然だ。ついこの間、自分と一夜を共にしたばかりの女が、別の男と一緒にいるのだ。たとえ、表向き別れたといっても、心穏やかでいられるわけがない。
挨拶だけ返してその後、廉は泉がまるでそこにいないかのように振舞った。
「この度はご愁傷様でした。まだお若いのに、残念なことです」
小澤の言った言葉を泉は何のことか理解できないでいた。
「密葬でしたので皆様にはお知らせしておりませんでした。わざわざのお心遣いありがとうございました」
密葬? 誰のだろう…泉は何も知らなかった。
「後は誰が継がれるのですか」
「当面、専務の鳴海典弘が代行します。今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ」
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