その日の夕方、綾子は泉をキッチンから追い出して、今日の夕飯は綾子が全部作ると宣言した。
どうしてだろうと不思議に思っていたのだが、その理由は料理の準備がほとんどできた頃にわかった。
外は真っ暗だが車が通るとそのライトが明るく光る。泉がテーブルに二人分の食事のセッティングをしていると、車が別荘に近づく音が聞こえた。振り返ると、リビングの大きな窓に車の鋭いライトが一瞬差しこみ、エンジンの音とともに消えた。
誰か来た?
泉が目を凝らしてリビングの外を見ようとしていると、今までキッチンにいた綾子の声と低い男性の声が聞こえた。
綾子さんのご主人?
手にもっていたグラスをテーブルに置いて泉も玄関に出た。
「こんばんは」
背の高い秋実がにっこり笑って言うのと同時に、その後ろからひょこっと廉が顔を出した。
泉の心臓は止まりそうになった。廉も決して小さくはないので、玄関が大きな男二人で埋まっている。
「さぁ、あがって、廉さん。疲れたでしょう」
「秋実に運転してもらってきたから。僕は座ってただけだしね」
秋実と廉は笑いながら靴を脱いだ。この間、廉と電話で言い合ってから、もう4日も経っている。泉は廉に電話する勇気がなかったし、廉もあれから電話してこなかったのだ。もちろん、だからといって、これまでのことが全て消えてしまうわけではなかったが。
廉は東京を出る前にスーツを着替えていてラフな格好だった。ちらと自分の方を見たが、泉はどうしていいか分からず横を向いて、そのまま逃げるようにリビングへ戻った。
「じゃ、私ちょっと用意してくるわ」
用意って何だろう?
泉は綾子を見たが、綾子は秋実と廉に目くばせして、なぜかキッチンではなく自分が寝室に使っている部屋へ向かった。秋実もその後を追いかけるように階段を上がっていった。
綾子さんはご主人に手料理を食べさせたかったのだわ。……ということは、夕食は4人分?
泉がグラスを手に持って、テーブルのそばできょろきょろしていると、廉が後ろから声をかけた。
「泉――」
泉はびっくりしてグラスを落としそうになったが、何とかテーブルの上に置いた。
「いずみ…会いたかった」
廉は泉の近くへ歩いてきて、後ろから泉の手を取って自分の方へ向かせた。頭にかぁっと血が上る。
「元気に……してた?」
廉の視線が痛い。あんな風に部屋から逃げてきてしまったから。
「――はい」泉は消え入りそうな声で答えた。
廉はうつむいたままの泉の頬をいとおしげに撫で、自分の胸へ抱き寄せてきつく抱きしめた。廉は黙っていたが、泉には大きなため息が聞こえた。
ああ。なんてことだろう。この人は自分のことを本当に心配していたのだ。
泉の胸が痛んだ。
一緒に東京に戻ってきたとき、彼はあんなにうれしそうだった。私はそれを一夜にして裏切った。もちろん、彼の両親がやってこなければ、ここに来ることにはならなかっただろうけど。
「悪かった。両親のこと。もっと早くに話をしておくべきだった」
廉は泉を抱きしめたまま言った。「あの後、家に戻って、僕は君と結婚すると言ってきた」
泉はびくっと肩を震わせた。廉が泉にささやいた。
「父はどうにか納得したみたいだから、多分、うちのことは大丈夫だ。もう少し時間をかければ何とかなる。僕は君に、どうしてもそばにいて欲しいんだ」
「廉さん」
泉ははじめ戸惑っていたが、廉の首に手を回した。この人のことをどれだけ想ったことだろう。何度夢に見た? 泉はその力強い手が自分の背中をしっかり抱いているのがたまらなくうれしかった。
「イイ感じのところを邪魔して悪いんですけど」
リビングの入り口に綾子と秋実が立ってにやにや笑っていた。
見られた!泉は慌てて腕を振り解いた。
「私たちはこれから東京へ戻ります」
綾子がにっこり笑って言った。
「ええ?綾子さん。どうして…夕食が……」
泉は驚いて綾子を見た。
「ご飯はあなた方二人でどうぞ。もちろんそのつもりだったのよ。私たちはそろそろおいとまするわ。ね?」
綾子は秋実の方を振り返った。秋実がうなずいている。
「明日でもあさってでも、東京へ戻るときに鍵を管理人に返してくれればいいの。部屋は管理会社の人が片付けてくれるから、何もしなくていいわよ。さ、行きましょう」
綾子は足元に用意してきた大きなかばんを持ち上げようとしたが、秋実がそれを代わりに持った。
「そうそう。まぁ、ゆっくりしていけばいいよ。後はベッドに直行するなり、風呂でいちゃつくなり、好きにしてくれ。ここの夜は長いぞ」
秋実が笑って荷物を外に出しながら廉に言った。
「サンキュー」
「ああ。じゃあな」
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