廉と泉は結局、秋実が勧めてくれたように次の日までそこにいた。東京に戻ったら廉には仕事が待っている。泉も学校へ戻るための準備を始めなくてはならない。お互い先のことは何も話さなかった。
廉は泉が自分の所へ何の気兼ねもなく来れるようにしようと思っていたし、泉は自分がどうすれば廉がいろいろな人に責められずにいられるかを考えていた。それはお互い心の中に秘めたまま、口に出さずにいる。
ただこの幸せな時間が少しでも長く続くよう、望んでいることは同じだった。
哲也から電話が入ったのは、廉と泉が秋実の家の軽井沢の別荘を出発しようとしていた時だった。
「気をつけろ……廉…」
声がなんだか変だ。明らかにおかしい。廉は始め、それが本当に哲也か疑った。
「気をつけろって、何を? お前、本当に哲也か?」
電話の先のくぐもった声はうめき声のように聞こえる。ただ事ではない。
「おい、今、一体どこにいるんだ。大丈夫なのか?」
「さぁ…どこかな、ここは……でも…死ぬほどやられてはないよ」
哲也は咳き込んでしゃべれなくなった。電話が切れた。
廉はすぐ河部と千葉に連絡し、東京の警察とも連絡を取った。
泉は何かただならぬことが起こったことは理解していたが、廉は泉には何も言わなかった。廉は軽井沢から車を飛ばして東京まで帰り、泉を自分の部屋に連れて帰った後、またすぐ警察へ出かけた。
世田谷の警察では、父の匡と河部が先に来て廉を待っていた。
「哲也さんはご自分のお部屋にはいませんでした」
と河部が言ったそのとき、「森嶋さん」と警察官が呼んだ。
「港区のW病院にそれらしき人が運ばれています。喧嘩で怪我されてるようですね」
喧嘩?喧嘩って誰とだ?
病院に行けば管轄の警察が待っていると聞き、3人は病院に向かった。そして病院で見るも無残な姿になった哲也と対面した。
「どうしたんだ、哲也」
匡の顔は真っ青になった。ベッドの上にいる哲也は元の顔がわからなくなるほど腫れ上がっており、腕にも包帯が巻かれている。
「伯父さん……心配かけてごめん」
哲也は話すのもつらそうだ。
「一体、誰にやられたんだ。こんなになるまで」
哲也の顔がさらにゆがんだ。
「母が…金を借りてたやつらだ……廉。気をつけろ。あいつらはお前がアリオンに来たら俺から金をせびれないと思ってる」
やくざが俺を狙ってる? 俺がアリオンに入るから?
「借金は全部払ったんじゃないのか? 払えてなかったのか?」
廉が訊ねた。
「ああ。払ったさ。日比谷の店もつぶしたし、弁護士も入って、金関係は全部清算したつもりだった……けど…」
「けど?」
哲也は口の中に染み出る血を吐き出さずに飲み込んだ。
「変な書面が残ってる。俺もちらっとしか見せてもらえなかった…日比谷の店を担保に金を借りたようなことが書かれてあった……」
廉は哲也に自分だけでこのことを解決しようとするなと言った。そして、専門の弁護士をつけ、警察にきちんと話をするように河部に手配させた。
「それと、この件が解決するまで、哲也には警護をつけてくれ」
廉が河部に言うと
「廉、お前にもだ」
匡が言った。
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