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 カデンツァ 第四章   


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軽井沢から帰った泉は、一度自分の部屋へ戻った。廉の部屋へ行くのはやはり、すべてをきちんとしてからにしたかった。

廉はそれを聞いてまた機嫌が悪くなったが、自分に警護がつくことになったため、泉がそうすることに強く反対はしなかった。ただ、週末の夜には必ず迎えに来て一緒に過ごすことを約束させた。


2月に入り、泉は4月からの復学のために大学の教務課へ相談に出かけた。3年次の単位は通年のものは取れていなかったが、前期分で完了しているものは全て取れていたので、そこから後の単位だけを取得すれば良いといわれた。

結局もう2年、大学には通わなければならない。泉はその後、青山のところへ行って、4月からまた復学する旨を伝えた。青山は以前と違って泉に優しかった。



ちょうどこの頃、USで発売になっていた綾子のシングルが、クラシッククロスオーバーのジャンルでヒットチャートにあがってきていた。青山はこの曲を書いたのが泉であることを知っていた。USのメトロポリタン劇場オケの知り合いから聞いていたのである。

それでも作曲ではなく、ピアノで戻ってくるという泉を青山は喜んで受け入れた。

また、一方でコンクールの曲を見ていた高田は、泉に作曲の講義を受ける時間を増やすように言った。コンクールの方は、泉が先に商業デビューすることになってしまったので、自動的に出場資格が無くなってしまっていた。

しかし高田は、泉がこれからの活動に支障をきたさないようにコンポーザーとしての手法を身につけるよう、強力にバックアップすると言った。そしてこのことは青山も納得していると。

泉は自分の周りのいろいろな人間に感謝していた。

全てを絶望したときもあったのに…

作曲でコンクールにと言われたとき、自分はここで泣いたのだ。泉は何ヶ月か前、高田のところへ行くように言われて校舎の植え込みの脇に座って一人で泣いていたことを思い出した。

いい年してまるで子供みたいだったわね。

泉はおかしくなって一人で笑った。


夜、泉はデラロサにいた。廉とデイビッド、それに博久も一緒で、奈々子の誕生日祝いをやることになっていた。真紀はステージにあがる。

奈々子がデイビッドと付き合っていたことを泉はつい数日前に聞いた。奈々子は博久にも泉にもずっとこのことを隠していた。泉が大変なことになっているのに、とても話ができなかったと奈々子は告白した。

「だって、デイビッドが廉さんがずっとピリピリしてるって言うんだもの。きっと泉さんとうまくいってないんだなって思って……」

奈々子が言うと、

「このおしゃべり!」

廉が横にいたデイビッドをはがいじめにした。

「イヤァ!ヤメテェ」

デイビッドが暴れた。博久が向かいで大笑いしている。



「泉さんは、廉さんとはいつ結婚するの?」

奈々子のその問いには廉が答えた。

「なかなかうんって言ってくれないんだ。僕には彼女が指輪してくれてることだけが頼り」

不服そうな廉を見ながら、泉はちょっと首をかしげて微笑んだ。

「時期がきたら…きっとね。だって、私、みんなよりまた1年遅れるのよ」

「でも泉さん、学校行く必要あるの?もうデビューしちゃうんだろ?」

博久はなんだかうれしそうだった。デビューの話を聞いて博久は本当に自分の事のように喜んでくれている。

「せっかく入った大学だもの。私、どうしても卒業したいの。下手でもピアノが好きでここまで来たんだし」

「だってさ! まぁ、本当にやめるなんてったら、青山とか高田先生が大騒ぎしそうだけどね」

博久がおどけて言うと、奈々子も「そうよね」と同調した。


真紀のステージが始まった。最近、真紀も自分で曲を書くようになり、今までスタンダードジャズのアレンジばかりだったのが、オリジナルも何曲かやるようになっている。

真紀の歌は、ストレートに客の心に響く。楽しい歌では身体が熱くなるし、悲しい歌は心がかきむしられるようだ。綾子の圧倒的な美しさとはまた違う、良くも悪くも、痛みが伴う声だ。

こういう声は好き嫌いがあるだろうが、泉は真紀がいずれどこかのレーベルで取り上げてもらえるだろうと考えていた。


真紀のステージが終わると、廉は泉を連れてデイビッドたちと別れた。今日はここに来るためにわざわざ警護を帰らせたのだ。

泉には哲也のことも話していたし、自分にボディガードがついているということも知らせてはいたが、実際、彼らがいると泉は自分と距離をおきたがる。

今夜、廉は泉を部屋に連れて帰るつもりだった。泉の手をひいて冷やかされながらテーブルを離れて廊下に出ると、廉は泉に言った。


「今日は一緒に帰りたい」