誰にも見られたくなかった。自分の惨めな姿を。
本当のところ、どうなるかはわからない。どこまで回復するかなんて、誰にもわからない。けど、プロにはなれないのだ…大好きなピアノでは。
泉はその後、薬が効いて浅い眠りに落ち、いろいろな夢を見た。
子供の頃に通っていたピアノ教室。練習してかないときもあったけれど、先生はちっとも叱らなかった。
父も母も、私がピアノを弾くのをすごく楽しみにしてた。発表会で母の手作りのワンピースを着て…すそに付いたひらひらのフリルがかわいくて、くるくる回って会場の鏡の前で目が回りそうになったっけ。
中学でも、高校でも、音楽室にいるのは楽しかった。
ブラスバンドのみんなと練習が終わった後で、歌謡曲を弾きまくった。
大学では叱られてばっかりだったけど…それでもピアノを弾くのは楽しかった。
Jで廉さんにはじめて会って、どんなに自分がだめかもわかって…けど努力さえすれば、多くを望まなければ、この先もピアノを続けていけると思ってた。
そして何より、私には才能があると疑ってなかった母。「どこかに才能があるって思ってたわ…」
けど、お母さん…私、ピアノが弾けなくなるかもしれないの……
あまりにも悲しくて涙がどっとあふれた。もう、弾けないかもしれない…泉は自分の涙で目を覚ました。
病室は真っ暗だった。何時かわからないが、たぶん夜中だ。涙でぼんやりした視界の中、泉は自分のベッドの脇にだれかが座っているのに気づいた。
「泉……」
その声は紛れもなく廉だった。寝巻きの上にガウンを羽織っている。
「廉さん…どうして…起きてちゃいけないんじゃないの?」
廉の手がさっきまで涙を伝っていた頬にあった。
「良くはないけど…君が心配だった」
廉の指が涙をぬぐっていく。
「すまない…僕のせいだ。こんなことになって。君に何て謝ったらいいのかわからない」
泉は頬に当たった廉の手に自分の手を重ねた。
暖かい。この人の手はいつも。
本当は起きあがりたかったが、まだめまいがひどいのでそれはできそうになかった。廉の手に自分の手を合わせていると心が落ち着くようだった。
「廉さん…あなたが死ななくて良かった…」
泉は廉の手を頬に感じながらそう口にした。
ついさっきまで自分はもうピアノが弾けないのだと、そのことが悲しくて仕方がなかったのに、廉の顔を見た途端、その考えはどこかへ行ってしまった。
私はもしかしたら、この人を失っていたかもしれないのだ……ピアノのことなど天秤にかけるべくもない。
軽井沢で廉は自分に、生きていくために私が必要だと言った。
私もこの人が必要だ。自分が生きていくために。
「あなたが好き。あなたを愛してる」
廉はそれを聞いて自分の無精ひげの伸びた頬を泉の頬に寄せ、頭を抱いてしばらくそのままでいた。
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