病院の受付で、廉は泉の母親を訪ねた。面会時間は7時までなのでと言われ、廉は3階へ急いだ。エレベータを降りて、病室を訪ね歩いていると、2人部屋らしきところに1枚だけ「吉野公子」と書かれた札を見つけた。
廉は病室に入っていこうとして、自分が見舞いの花さえ持ってきていないことに気づいた。けれど、もう引き返すわけに行かない。どうしても泉に会わなければならない。
病室は静かだった。真ん中にある仕切りのカーテンだけが少し揺らめいていたが、公子が青白い顔で点滴を受けながら眠っているのが見えた。しかし、ベッドの向こうで座っていたのは泉ではなく、公子と同じくらいの年齢の女性だった。
「こんばんは……」
廉が小さい声で言うと、付き添いの女性が病室を出てこちらに向かってやってきた。
「すみません。今、眠ってるんですよ。あの…どちら様でしょうか?」
少しなまりのあるしゃべり方のその女性は、背の高い廉を見上げた。
「すみません、突然。私は泉さんとお付き合いさせていただいてました森嶋と言います。ちょっと、彼女と色々ありまして、今までお母さんがこちらにいらっしゃるのを知りませんでした」
廉は正直にそう言った。
「まぁ、そうだったんですか。泉と……私は泉の叔母です。ところで、色々って何が? 泉ちゃん、ここ2日ばかり病院に来てないんですけど……どこにいるかご存知ありません? 電話も通じないし…」
「ええ?」
廉は困惑した。一体どこに行ってしまったのだろう?病気の母親を残してどこかに行くなんて、泉に限ってありえない。
「僕も泉さんを探してます。ほとんど2週間くらい彼女に会っていません。いないんですか。来てないんですか。ここに…」
一体どこに行ってしまったのだろう。廉はもう一度、博久に聞いてみようとして、病室で危うく携帯を開けそうになった。
「ええと…あとで彼女の友人に当たってみます……ところで、お母さんは、どんな容態なんですか」
叔母のさえは視線を下に落とした。
「先週、かなり具合が悪くなって、泉ちゃんから連絡をもらいました。お医者さんはあと数日じゃないかって…」
廉にとっては衝撃的な話だった。夏に自分に色々してくれた公子が…あんなに快活に笑っていた公子が……
「すみません、私は何の病気か存じ上げないんですが、本当ですか…それは……」
さえは頷いた。
「姉はすい臓に癌があって、それが全身に転移してるんです。癌ってわかってからまだ2ヶ月経ってないんですよ」
その話は廉を呆然とさせた。泉は自分にそんな話はかけらもしなかったし、におわせもしなかった。
もちろん彼女は俺を拒否していたのだから、当然と言えば当然だが…
「ちょっと、会わせていただいてもいいですか。夏に静岡の家で、お世話になったんです」
「今眠ってますけど…どうぞ」
廉はさえの後に続いて病室に入り、カーテンの内側に入った。公子は夏に会った時よりずっと小さくなっていた。廉は公子の腕をそっと握った。
泉は一体どんな気持ちで、この1ヶ月を過ごしていたのだろう。俺は何もわかってやれなかった。彼女を不必要に責めただけだ。
この小さな空間の中で、彼女は自分の身内をもうすぐなくすだろう恐怖とずっと戦っていたんだ。自分の生活もあるのに…
大学を休学したと、博久は言っていた。確かにピアノどころじゃない。俺と恋愛ごっこをしてる暇もなかっただろう。それなのに、友達までなんとか救おうとしていた。自分のことを全部後回しにして。
廉は公子のそばから立ち上がって、さえに言った。
「泉さんを探してきます」
さえの携帯の番号を控えた廉は、病院の外に出てデラロサへ電話した。電話の向こうでメタリカががんがん鳴っている。
電話に出た博久に廉はまた驚かされた。
「泉さんの居場所がわかった。昨日警察が来てうちの監視カメラのビデオを持っていったんだけど、そこに写ってた。泉さんは今、警察にいるよ」
博久の話が全く理解できない。廉は自分が本当に馬鹿になったような気がした。
「……さっぱり話がわからない」
「僕もこれから警察に行きます」
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