おとといの朝、博久は泉に去年受けた講義のノートを借りようとして電話した。泉は快くそれを受けて、病院に行ったついでにノートをデラロサに持ってきてくれると言った。しかし泉はその日、デラロサには現れなかった。博久は泉の母親の具合が相当悪いと知っていたので、ただ都合が悪くなって来れなくなったのだと思っていた。
ところが昨日になって博久は、泉が来る予定だったその日、デラロサで警察と麻薬の売人の捕り物があったことを知った。デラロサの店長がこのところずっと気にしていたのだ。ここ何ヶ月か前から、薬の売人が出入りしてるようだと。言われてみれば確かに、博久がバイトに来ているときも廊下でたまに怪しげな人間がうろうろしていることがあった。
店長はデラロサが変な取引の場に使われることを非常に嫌がっていた。警察に目をつけられるなんてとんでもないと言っていたのだ。だから一月ほど前、デラロサには入り口のところと、廊下に監視カメラがつけられていた。そのことは博久も知ってはいたが、すっかり忘れていた。
おとといつかまったのは、薬を買っていた女が一人と売人が一人。ただ、警察はその後デラロサに電話してきて、その時、女がもう一人逃げていかなかったか訊ねた。
店が開いたばかりの時間だったので、廊下には誰も出ていなかったが、店長は廊下に1ヶ月ほど前からつけていた監視カメラの話をした。当然、ハードディスクビデオはその場で警察が確認した。
博久はそれを店長から聞かされて、後からビデオ画像を見せてもらった。そこに写っていたのは、売人の方に突き飛ばされた泉と、泉を突き飛ばした後、大急ぎで逃げていく理恵の後ろ姿だった。理恵は後ろ姿しか映っていなかった。けれど、間違いなく理恵だ。
「さっき来た刑事に、泉さんを釈放してくれるように頼んだけどダメだった。僕はこれから警察に行って直談判してくる。あなたも来る?」
「もちろん」
博久は電話を切った。
理恵……結局、そんなところまで堕ちてしまったのか。廉は自分が冷たくしすぎたのか自問した。
いや、彼女が本当に欲しがっていたのは俺ではない。親の愛情だ。
廉は車を発進させた。
警察では博久が廉を待っていた。博久は廉に、もう刑事にも話してしまっているが、理恵のことは黙っているつもりはないからと宣言した。もちろん、そうでなければ泉は開放されないだろう。
泉を取り調べた刑事が博久と廉に事情を聞いた。泉は薬のことも、逃げた女のことも知らないと言っていたが、警察のさくらの他には売人しかいなかったのにわざわざ店内ではなく廊下にいたのを不審に思われ、警察に留め置かれていた。
薬物反応の検査もされたが、当然泉にそんなものが出るわけがない。また理恵が逃げていくときに、泉は理恵の名前を呼んでいた。その場にいた警官たちには聞き取れなかった。だから余計に泉は放してもらえなかったのだ。
博久は、ビデオに写っていたのがたぶん大学の友人である富田理恵だと話した。泉は友達をかばっているのだろうと。
警察は明日、再度博久の調書を取るので、警察に来て欲しいと言った。廉は泉の母親がほとんど危篤状態であることを話して、何とか開放してもらおうとしたがだめだった。とにかく明日の朝、博久の調書を取ってからという一点張りだ。仕方がないので、二人は警察を後にした。
博久はまだ時間が早いのでデラロサに戻ると言ったが、明日は大学を休んで朝から警察に行くと約束した。博久にとっても、何もしていない泉がずっと警察に留め置かれているのはたまらないことだったのだ。
廉は博久と連絡先を交換しあった。そして別れ際、廉は博久に言った。
「今日は君がいて助かった」、
「俺がもう少し早く生まれてたら、あんたはライバルだったよ」
博久は後ろ向きのまま手を上げて去っていった。
博久と別れた後、廉は車に戻って、警察に行く前から考えていたことを実行に移すかどうか考えた。
理恵の家に行ってあの両親を説得し、理恵を自首させる。理恵は薬をやめなければならないし、そのためにはあんな両親でもついていなければならないはずだ。
あの家族にはもう関わらないでいようと思っていたが、そういうわけにはいかなくなった。これで最後にしたいが。
廉は理恵の家に電話をした。電話に出たのは母親で、理恵は自分の部屋にいると言った。話があるのでこれから家に行くことを告げると、非常に驚いている。
たぶん、何も知らないのだ。知っているわけがない。父親もどうしても呼んで欲しいと言うと、理恵の母親はしぶしぶながらも了解した。
白金の富田の家の階段を登る前、廉は大きくため息をついた。相変わらず玄関ポーチの明かりがまぶしい。こんな立派な家に住んではいるが、愛情には飢えている。理恵のやっていることは決してほめられたことではないが、その気持ちもわからなくはない。
廉は階段を登って玄関のチャイムを押した。
玄関で理恵の母親の信子が出迎えた。相変わらず派手な化粧だ。
父親はまだ帰っていないが、後10分もすればこちらに着くだろうと言った。廉は大きな応接間に通され、父親が帰ってくるのを待つことにしたが、信子の恋人が廉の後ろをうろうろするのが何だか落ち着かない。
理恵は部屋におり、廉が来たことを知らされていなかった。その方が良いだろう。父親がいないうちに、何の話か先に聞きたがられても困る。玄関が開いたらわかりますからと母親は言った。
まもなく父親の一徳が家に戻ってきた。こちらも例の女性を連れている。
全くなんて家だ。廉はうんざりした。
「私がお話したいのは理恵さんのご両親だけです。お二人は席をはずしていただけますか」
廉は余計な二人に告げた。彼らは面白くない様子で部屋を出て行った。
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