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夜の庭 第一章 -14- |
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翌日、エリザベスは気持ちになんとか折り合いをつけて普通の日々の生活に戻ろうとしていた。りんごの受粉の作業が終わったら自分は本当にここを出なければならなくなる。作業が始まる前に家を探しておかなければ。エリザベスはビッグスに町の不動産屋に来てもらえるように手配をたのんだ。 ところが昼を過ぎると、本当にシルヴィがやってきた。人を訪問するには時間が早すぎるが、ロード・シルヴィはそんなことはお構いなしだった。エリザベスは朝、摘み取った春の最後の薔薇から大量に花を取ってハーブオイルを作る作業をしていた。こちらも爵位を持った女性がするようなことではなかったが、エリザベスの作るハーブオイルはとてもいい香りで評判が良く、ここ数年、いろいろなところから譲ってほしいと依頼が来るようになっている。しかし、自分の周りに配る以上のものは今の収穫量ではとてもできそうになくて、断りの手紙を何通も書かねばならなかった。 エリザベスと手伝いのメイド二人が薔薇の花びらや葉をばらばらにしてとる作業をしている部屋の隅で、シルヴィはビッグスに椅子を持ってこさせ、それを飽きもせずずっと眺めている。メイドの二人はシルヴィと視線が合うと顔を見合わせてくすくす笑うのだが、エリザベスはこわばった顔でシルヴィなどまるで存在しないかのように作業に集中していた。 「そんな怖い顔して作ったオイルはどんな香りがするんだろうな」 シルヴィがからかう。エリザベスはシルヴィの方を一瞥したが、何も言わずに作業を続けた。 「君たちのご主人様はいつもこうか? デイジー?」 何も答えないエリザベスをからかうのをやめてシルヴィはデイジーに矛先を向けた。デイジーはちょっと驚きはしたが、「そんなことございません。いつもはとてもほがらかでいらっしゃいます」と答えた。 「ではどうしてあんなに怖い顔をしているのだろうね?」 「こちらに男性がいらっしゃることなんて、そうそうありませんもの。戸惑っていらっしゃるのですわ」 「戸惑う? 何をいまさら…私たちは一緒に森の泉まで行った仲だというのに」 その発言にエリザベスは飛び上がった。 「ロード・シルヴィ。ちょっとこちらに」 エリザベスは真っ赤になってシルヴィを部屋から連れ出した。 部屋を出たテラスの先で、エリザベスはシルヴィに問いただした。 「どうしてあんなことを! 噂になりますわ。それとも私をメイドの前で辱めて楽しんでいらっしゃるの?」 シルヴィはにこにこして言った。 「まさか。辱めるなど…楽しんではいるが」 楽しんではいる? 楽しんではいるですって? エリザベスは本当に頭に血が上ってどうにかなりそうだった。けれど、一度深く呼吸をしてなんとか自分を取り戻そうとした。 「どうか、どうかもうロンドンにお帰りください。ここにいらっしゃっても、することがなくて退屈されているのでしょう?」 「昨日は勝手にしろと言ったではないか」 「確かにそうですわ。けど、ロンドンの外務省からはここ宛てで今朝も電報が来ていましたわ。ご覧になったでしょう?」 シルヴィがここを出て行ったことを知らない電信局の局員は今朝、ここに電報を持って来ていた。 「君が心配することではない」 シルヴィは取り合わなかった。 こうして意地悪を言っている間も、シルヴィの憎たらしいほどハンサムな顔が笑っている。一方で、自分の胸はどうにかなりそうなほど痛い。こんなの不公平だわ。 「散歩に行くが、君も行くか?」 シルヴィが手を差し出した。エリザベスは首を振った。 「ではまたのちほど」 シルヴィは庭に続く小径を歩いて行った。エリザベスはなんだか楽しそうなその後姿を見ながらテラスの柱にもたれかかった。 こんなに人の気持ちをかき乱しておいて。何を考えているのか全くわからない。そうまでしてここにいる理由は何? 彼はただ単純にレドナップに勝ちたいだけ? ピアソン卿に言われて仕方なくこんなところまでやってきて、別にたいした興味もなかったが、自分を目の前でレドナップに取られるのは彼のプライドが許さないのだ。 本当にがっかりだわ。ロード・シルヴィがそんな人だったなんて。 エリザベスはこの先、彼が自分の気持ちを知ることは決してないだろうと思った。 |
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