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夜の庭   第一章   


                           -15-



 夕方、本当の訪問時間に今度はレドナップがやってきた。

「ちょっと顔を見によっただけです」

とレドナップは言ったが、エリザベスのすぐ後ろに立っているシルヴィとにらみ合っているのはなんとも妙な具合だ。

 仕方がないので、エリザベスは自分から庭仕事に出ると宣言した。出来れば少し手伝ってほしいとも。庭に引いている小川の上に架けてある板の橋が朽ちかけているので、誰かが落ちないうちに新しいものに替える必要があった。そんな仕事は使用人がやることだが、この二人はどうせ暇をもてあましている。少しぐらい体を動かしたって良いはずだ。

 ところが、エリザベスが二人を伴って庭先に出ようとした時、執事のビッグスがホールの入り口に大急ぎで走っていくのが見えた。

「何事?」

エリザベスが独りごとのようにいいながらホールに向かうと、まだ7、8歳と見える少女がエリザベスの足元に倒れこんだ。

「お嬢さま……お嬢さま……お願いです」

 少女はエリザベスも良く知っている領地の小作人、エマーソンの家の長女だった。エマーソンの家はここから4マイルはある。少女ははだしで服は泥だらけだった。きっとここまで草原の中を走ってきたのだ。
「あなたエマーソンの家の……メアリ・ルー? どうしたの?」
ビッグスがそばで顔をしかめている。「これこれ、こんなところまで入ってきては……」

「すみません。すみません。お願いがあってきました」
息も絶え絶えに少女が言った。
「弟が……弟が病気なんです。熱がすごくて、体に発疹が……」
「発疹? どんな?」
エリザベスが少女に手を貸して立たせようとした時、すぐ後ろに立っていたレドナップが「あっ!」と声を上げた。

メアリ・ルーの首の後ろから背中に、小さな発疹が見えていた。
「天然痘かもしれませんよ……ここにいさせるのは…」
レドナップがそう言ったのをエリザベスは静止するように小さく首を振り、手に持っていた庭仕事用の手袋をはめた。

「水疱瘡かもしれませんわ。ルアーブルの辺りで流行していると先週新聞に出ていました。メアリ・ルー、あなたの弟はいつから悪いの?」
「おとといの夜、突然、熱が出始めて、顔に発疹が出て……」
「じゃあ、熱と一緒に発疹が出たの?」
「そうです」
エリザベスはレドナップとシルヴィの方を一度振り返ったが、エリザベスが何を言おうとしているのかはどちらにもわかっていないようだった。エリザベスは少女をホールの床に座らせたまま、おさげの髪を持ち上げて背中を覗き込み、また少女の手足を観察した。
「あなたの弟はたくさん発疹が出てる?」
「ええ。顔はそれほどでもないけど、背中と胸とかおなかとか……」
「手や足はどう?」
「出てるけど体ほどじゃないです」

「エリザベス。医者を呼びにやったほうがいい」
シルヴィが言った。
「今、ゴールドバーグ先生はいらっしゃらないんです。大陸の方にご旅行中だとかで。だから私、お嬢様に熱を下げる草を分けていただこうと思って。お屋敷にはたくさんあるって、村の皆が言ってたから……」

 メアリ・ルーは自分の熱で苦しそうだった。きっと必至でここまで走ってきて、自分が発病してるのに気づかなかったのだろう。
「ゴールドバーグ先生は町でたった一人のお医者様なんです」
エリザベスはシルヴィとレドナップに説明するように言った。
「いらっしゃらないなら仕方がないわね。いいわ。じゃあミルブルックのお医者様を呼んできましょう。ビッグス、誰かミルブルックまで馬車をやってダレン先生を連れてきて。それからこの子を家に連れて帰るから、もう一台表に回して頂戴」

「エリザベス。彼女の家は親戚か何かですか? そこまでする必要が……」
レドナップは天然痘を疑っているためか口にハンカチを当てたままだった。

「レドナップさんは水疱瘡はされていないのですか? だったらお帰りになったほうがいいわ。ロード・シルヴィも」
エリザベスは冷たく言い放った。実際、ここで帰ってもらった方がいい。
「なぜ水疱瘡だと思うのだ」
シルヴィが訊ねた。
「過去に1度だけですけど、天然痘にかかった人を見たことがあります。天然痘はもっと大きな発疹が出ると思うんです。うちの領地の人間にはほとんど種痘を受けさせていますし、それに熱と発疹が一緒に出るのは水疱瘡だと、以前読んだ本にありましたわ。私はお医者様ではないので、本当のところはわかりませんけど」
「それにしたって、医者まで呼んでやることは……」
レドナップが言ったのを皆がとがめるように見た。
「うちの領地で病気が広まるくらいなら、お医者様を呼ぶくらい何でもありません」
エリザベスはそう言って、毛布を抱えてきた下男にメアリ・ルーを任せた。レドナップの言ったことには確かに一理ある。自分はもうここの主人ではないのだから、本当はジョンにどうするか聞くべきだ。もしカミラが知ったら、きっと追い返しただろう。けれど、メアリ・ルーは自分を頼ってきた。何か言われたら、自分が支払いをするからと言うしかない。
 エリザベスはそばにいた侍女のベネに屋敷に置いてある薬草棚から煎じ薬を用意させ、ビッグスには他に水疱瘡の疑いのある人間がいないか、村に誰かをやって確認してくるように言った。一緒にいたシルヴィとレドナップには「すみませんが、今日は失礼します」と言って、ハーブを煎じる準備をするために階下に降りた。

レドナップとシルヴィはいつの間にかいなくなっていた。エリザベスは彼らがいなくなったのに気づいていなかった。というより、彼らはまるで逃げるように屋敷から出て行ったのだ。おそらく。

水疱瘡なんかに恐れをなすなんて……エリザベスは作業をしながらおかしくなって笑った。

 その後、エリザベスが出来上がった煎じ薬のポットを持ってエマーソンの家へ行くと、屋敷にやってきたメアリ・ルー、弟のビリー、それにその下の弟のショーン、おまけに父親のスターンまでもが床に伏せっていた。特にスターンは具合が悪いらしく、熱もひどいようだ。妻のエマは看病疲れでやつれていたが、エリザベスが入っていくと非常に申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
「すみません。お嬢様。やめるように言ったんですが、ビリーの具合が悪い上に、お医者様もいらっしゃらないし、ビリーとショーンの二人でうちにあった薬草は使ってしまって…」
「いいのよ、それは。それより、スターンもなの?」
エリザベスはポットをエマに渡した。
「ええ、メアリ・ルーが帰ってきた後に悪くなり始めて……まさか水疱瘡にかかってなかったなんて知らなかったんです。私はビリーの年のころにやってしまいましたから。スターンもそうかと…」
エマとスターンはローウェルの領地のこの村で育った。エリザベスも子供の頃から知っている。
「ポットの中は朝と夕方だけのんでね。気休めみたいなものだけど、熱は少し楽になるかも知れないわ。けど、おなかが下りやすくなるから、飲みすぎないで」
「ありがとうございます。お嬢様、実はさっき、ダレン先生も来てくださって……」
「ミルブルックのダレン先生?」
ミルブルックまでは馬車を飛ばしても1時間はかかる。どうしてそんなに早く来られたのか、エリザベスには理解できなかった。
「ええ。電報を受け取ったからって。差出人の名前がロード・S・グロブナーになっていたと。それで……」
ロード・シルヴィ!
「それで?」
「先生に診て頂いて、やっぱり水疱瘡だって言われました。安静にしてるしかないって。お薬もいただきました。その後、グロブナー卿のお遣いの方がダレン先生にいくらか渡されているのを見ました」

エリザベスは耳を疑った
「グロブナー卿も一緒にいらっしゃったの?」
エマは首を振った。
「いいえ。お遣いの御者の方だけです。グロブナー卿は緊急の用事で鉄道でロンドンに戻られたとか。お嬢様には言わないでほしいといわれたそうです」
「グロブナー卿が?」
「はい。けど、そんなわけにはいかないと思って」

エリザベスは大きくため息をついた。
「そう……教えてくれてありがとう。」

帰った。ロンドンへ。あれほど私が勧めても動こうとしなかったのに……まるで関心の無いようなフリをしておいて。


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