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夜の庭 第一章 -16- |
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後日、エリザベスは病気はどうやらスターンがビリーを町へ連れて行った時にもらったらしいと使用人から聞いた。それは町でも病気が流行し始めているということを意味している。しかし、ローウェルの領地の中では、ビリーと一緒に遊んでいた隣の家のロンが続いて発症しただけで、幸いそれ以後他にかかった者は出なかった。 水疱瘡の騒ぎから1週間が過ぎたが、レドナップはあれから一度も顔を見せなかった。ロード・シルヴィもロンドンへ戻ってしまったきり、何の音沙汰もない。音沙汰などなくて当たり前だろうか。彼はただ自分の場所に戻っただけだ。エリザベスの心の中はぽっかり穴が開いてしまったようだった。レドナップは結婚を申し込んだのに、返事も聞かずにいなくなった。ロード・シルヴィもまるで煙のように消えていなくなった。 自分は本当に男性と縁がない。結婚まで申し込まれて相手に逃げられた女性なんてきいたこともないわ。この状況を笑ったらいいのか、悲しんだらいいのか、エリザベスには良くわからなかった。口さがない社交界はいろいろ噂するだろう。けど、自分は集まりに出かけていくことも少ないし、これからはそれももっと減る。父に少しでも遺産を残してもらえた事を感謝しなければとエリザベスは思った。 アリソンのところへ行って話がしたい。もう何週間、いえ二ヶ月以上会っていない。水疱瘡のことがあって、エリザベスは手紙を出すのさえためらっていた。彼女も自分と同じように会いたいと思ってくれているだろうか。そろそろ会いに行ってもかまわないだろうか。 そんなことを思い始めた4月の終わり、エリザベスは一通の手紙を受け取った。 親愛なるエリザベス 傷ついた心であなたのところを去ってから早、三週間が経ちました。ついこの間まで、あなたのことで浮かれていたのが嘘のようです。しかし、ついに私も生涯の伴侶となる人を見つけ、昨日婚約しました。あなたとこのようになっていなければ、出会うこともなかった方です。今ではあなたに大変感謝しています。どうぞ末永くグロブナー卿とお幸せに。 デニー・レドナップ エリザベスは目を疑った。これは一体何? これではまるで私がレドナップをふったようだわ。まだ返事もしていないのに。エリザベスは手紙をしばらく眺めていたが、叔母のエレンのところへこれを持って行った。 「レドナップさんにお断りのお返事をしていたとは知りませんでしたよ」 片メガネを取ってエレンは手紙をエリザベスに返した。 「違うわ。叔母さま。私、お返事なんてしていないもの」 「では、優柔不断なあなたを見限ったということね」 きつい一言……。エリザベスは言葉を失った。 「良かったじゃないの。これで心置きなく別の方のところへお嫁にいけるわ」 「叔母さま。他に誰も私にプロポーズなんかしていないわ」 エレンはくすっと笑ってお茶を口にした。 「では、これで一人身の道をまっしぐらというわけね。あなたが望んでいた通り」 「私が望んでいた通り?」 「あら、そうじゃなかったの?」 そう言われて、エリザベスは珍しく泣きそうになった。望んでいた? 私が? 一人になるのを? 「あなたは全身否定のかたまりだったわ。ロード・シルヴィが出て行かれる前の最後の何日か。自分にかかわらないでって言ってるみたいだった。幸せは自分で掴むものなのに」 エリザベスはそれを聞いて何も言わずにエレンの部屋を出た。自分が……自分がそうしたと言うのか。 五月。りんごの花に受粉させる日が来た。エリザベスはもう何も考えてはいなかった。ただこの面倒な作業を早く終わらせようとしていた。使用人たちに柔らかい毛玉をつけた棒を持たせて、花粉をつけ、花の雌しべの柱頭に受粉させる。これをまんべんなくやるのは結構大変な作業だ。 夕方、その作業も終わり、使用人たちが農具を持って片づけを始めた頃、一緒に作業に出ていたデイジーがエリザベスを呼んだ。 「お嬢さま」 エリザベスが振り返ると、太陽を背に誰かがこちらへ向かってくるのが見えた。自分の腕で日差しをさえぎって目を凝らすと、それがよく見覚えのある人物だと言うことがわかった。 「ロード・シルヴィ」 エリザベスは手袋を取った。光で良く見えない。けれど、それは間違いなくシルヴィだった。 「忘れられてはいなかったようだ」 シルヴィは独り言のように言った。 忘れる? そんなことできるわけない。あなたはずっと夢の中にいる。胸が痛くなる。たとえ夢の中でも。 「エリザベス」 目の前にやってきたシルヴィは、紛れもなくあのシルヴィだった。 「ロード・シルヴィ」 エリザベスは自分の手をシルヴィに取られているのに、慌てて足を引いてお辞儀をした。 「私と結婚してほしい」 顔を上げたエリザベスはシルヴィの言ったことが全く理解できなかった。彼は今、何と言った? 「エリザベス。私の妻になってほしい」 声が出せずにいるエリザベスにシルヴィは追いうちをかけるように言った。 「本当に?」 「ああ。本当だ」 結婚してほしいと彼は言った。何をどう間違ってそんなことを思いついたのだろう。ああ、違った。これは夢なのだ。だから、「はい」と答えればよいのだ。 ただ、「はい」と。 そうすれば夢は覚める。いつものように。 夜の庭 第一章 - 完 - |
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