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夜の庭   第二章   


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 五月も終わる頃、ロード・シルヴェイナス・アレクザンダー・スペンサー・グロブナー、第十五代グロブナー侯爵は、レイディ・エリザベス・グレン・トーヴィー・ローウェルと結婚することになった。グロブナー卿の結婚は新聞でも大きく取り上げられ、ロンドンの貴族たちの間ではその話で持ちきりだった。先妻が亡くなってから数々の浮名を流してきたあの伊達男のグロブナー卿がとうとう結婚する。それもサウスハンプトンから来た田舎の女貴族と。

 エリザベスはその時既にローウェル・ホールからさほど遠くないところにある小さな一軒屋を買っていたが、それはそのままにしておくことになった。シルヴィはエリザベスの持参金など全くあてにする必要はなかったし、むしろ内心、妻の乏しい財布が減るのを心配さえしていた。エリザベスも自分にはそんなにお金は必要ないからと、その家をわざわざまた売るようなことはしなかった。

 世間の騒ぎをよそに、シルヴィは結婚式をあまり派手にしたくはないと考えていた。エリザベスも結婚式は簡単に済ませてよいと言ったので、シルヴィはロンドンのセント・ポールで、ごく内輪の結婚式を挙げることになった。シルヴィにはバーミンガムの西に大きな所領地がある。弟と母親がそこにある屋敷に住んでいたが、式に出るのは弟のホーリーだけで、足の悪い母親はやってこなかった。

 エリザベスは式の前、結婚の打ち合わせのために何度かロンドンへ出てきていたが、案の定、シルヴィと出かけた先々で、女性たちからちょっとした嫌がらせを受けていた。音楽会ではエリザベスにだけ聞こえるように「田舎者」とつぶやかれたし、シルヴィと共に招待された晩餐会でもあまり喋らずにいると、教養がないから怖くて口を開けないのだろうと陰口をたたかれた。エリザベスはいちいちそれに反応するようなことはせず、知らないふりをしている。シルヴィもそれを横目で見ながら何も言わずに黙っていた。いずれ皇太子に紹介する段になり、また女王陛下にも拝謁することになったら、誰も陰口などたたくものはいなくなると考えていたからである。


 結婚式の前日、シルヴィは銀行のこまごました用事を済ませた後、食事をするためにいつも使っている「バーバリアンズ」というクラブに立ち寄った。ここは曽祖父の時代からグロブナー家の男たちが出入りしているところで、その名前に反してクラブの会員は貴族年鑑に何代にもわたって名前を寄せているような家の人間ばかりだった。

その「バーバリアンズ」の食堂で、人目を嫌って小さなついたての脇に席を取ったシルヴィは、聞き覚えのある声を耳にした。ついたての向こうから聞こえてきた声はシルヴィの知り合いだった。

「ああ、ロード・シルヴィは明日、結婚するんだったな」
「去年亡くなったローウェル伯爵の一人娘だそうだ。たいそうな美人だが、ずっとサウスハンプトンの田舎にいたらしい。もう結構な歳だな」
「三年ほど前、向こうの知人に呼ばれて行ったとき、その娘を見たぞ。確かにものすごい美人だった。財産があればなお良かったが、あの家は彼女のいとこが継いだと聞いた」
「グロブナーはついに慈善事業もやる羽目になったのか。ローウェル伯はアルバート公と特に親しかったからな。殿下のお気に入りも楽じゃない」
シルヴィはついたての脇で彼らが話すのを聞きながら、広げた新聞に隠れるようにしていた。エリザベスはなかなか有名人らしい。自分は知らなかったが。

「だが、あの娘には恋人がいたはずだが……たしかアンドルー・ヒューイットといったか。小説家だ。知ってるか?」
その名前を耳にした時、シルヴィは平静でいられなくなった。ヒューイット。イースターの夜、舞踏会でエリザベスといやに親しげにしていたあの男。


 シルヴィはその時の光景をまざまざと思い出すことが出来た。エリザベスの手を親しげに取って、いとおしげに口づけしたあの男。自分が見ているのを知っていた。あれはまさしく自分への挑発だった。彼女があの時、既に自分と婚約していたら、間違いなく決闘していただろう。
その時シルヴィはヒューイットの名前さえ知らなかったが、話し好きのプリンストン家の女性たちからその金髪の美しい男の名前を聞き出すのは簡単だった。


「アンドルー・ヒューイット! 最近クロニクル誌に連載してる奴じゃないか。大衆向けのミステリだが、なかなか面白いものを書いてる。身分は低いが貴族だと聞いていたが……で、別れたのか、ヒューイットとは」
「さぁ。どうかね。若いときから父親があれこれ文句を言って娘に結婚させないようにしてたみたいだ。ヒューイットは貧乏貴族のようだから、父親が嫌がったんだろう。あんな美人がいつまでも放っておかれるなんてね。シルヴィがもらうなら私にもチャンスはあったのに」

シルヴィはもう笑っていられなかった。恋人? やはりヒューイットは恋人だったのか。

静かに立ち上がってシルヴィはその場を去った。


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