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夜の庭   第一章   


                        -3-



 午前中の庭仕事を終えると、午後は絵を描くかピアノを弾くかするのだが、シルヴィはそれでもまた飽きもせずずっとエリザベスのそばにいた。エリザベスが行ったことのないパリやウイーンで流行っている音楽や美術の話は本当に面白かった。シルヴィに話を聞くと、そこへ行って見たくなってしまう。父の喪が明けたら、きっと外国へも旅行しよう。エリザベスは淡々とさびしく流れていた毎日に少しだけ前向きになった。

 シルヴィがやってきて三日経ったがピアソンがやって来る気配はなかった。卿からは全く音沙汰がない。シルヴィも何も言わないし、これでは本当にやってくるかどうかさえ怪しい。


「それで、新しい家はもう見つかったの? エリザベス」
子供たちが先に食事を済ませた後、叔母のエレン、ジョンとカミラとエリザベス、それにシルヴィがディナーテーブルについていた。シルヴィはこのあたりでは見たことのないような繊細な織りの生地の上着を着ている。エレンがそれに目を見張っていた。
「え? ああ、いいえ、まだなの。なかなかいいところが見つからなくて…一人で住むには広かったり、狭かったりで」
カミラは何かにつけ、この話をする。自分に早く出て行ってほしいと思っているのは良くわかっている。近いうちに屋敷を出ると宣言はしていた。少しほうっておいてくれればいいのに。エリザベスは感情を悟られないようにうつむいた。
「お金はあるんだから、広い家を借りれば良いじゃないの。私たちが引き取れないものは持っていってもらわないといけないし…そうだわ。海に近い家はどう?夏には子供たちも行かせるし、そうしたら、ぜんぜんさびしくなんかないわよ」
エリザベスはカミラが屋敷にある古い絵やいろいろな思い出の品と一緒に、うるさい子供たちも厄介払いしたがっているのを知っていた。
「早くみつけないとね。私が今度一緒に探してあげるわ。荷物が全部収まるような広いおうちを。フェアハムに知り合いの不動産業者がいるから、今度呼んでみましょう」
エリザベスはなんとか愛想笑いを浮かべて、「それはどうもご親切に」とつぶやいた。

「ところで、エリザベス。週末のイースターのミサには彼も連れて行くんだろう?」
シルヴィの方を見ながらジョンが尋ねた。そういえば週末はもうイースターだ。すっかり忘れていた。
「ああ、そうだったわね。忘れてたわ。ロード・シルヴィ、田舎のイースターですけれど、ミサの後小さなパレードがあって、町でちょっとお祭り騒ぎをするんです。毎日庭仕事ばかりしていると退屈でしょう? ぜひいらっしゃって」
エリザベスが言うと、シルヴィは笑って答えた。
「退屈なんかしていませんよ。私は。けれど、あなたが行くならどこへでもお供します」
「ああら、ここにもまたエリザベスの崇拝者が一人……」
エレンが言うと、それをさえぎるようにカミラが言った。
「そういえば、昨日町でレドナップ海尉を見かけたわ。明日にでもここへやってくるわよ、きっと」
それを聞いたエリザベスは顔を曇らせた。
「レドナップさんは、去年、この町にこられてからエリザベスにご執心でしたの。ここにいらっしゃる間は毎日のように来られてたんですのよ。でも急にお仕事が入ってポーツマスに行かなければならなくなって……帰ってきたら、求婚すると宣言されたのです」
カミラがぺらぺらとしゃべっているのを聞いていたエリザベスは、その時の事を思い出して、気分が悪くなった。

 デニー・レドナップ海尉はポーツマスのレドナップ家の次男でイギリス海軍の士官だった。去年まだジョージが臥せっていたころ、たまたま町に薬を買いに行ったときに出会ったのだが、エリザベスをいたく気に入って、ここにいた二週間の間、ほとんど毎日のようにこの屋敷に押しかけてきた。決して悪い人物ではなかったが、エリザベスは当時、それどころではなかったし、毎日少しでも相手をするのがとても苦痛だったのだ。

「ああ、どんなプロポーズをされるかしらね? あんなハンサムな男性に心を寄せていただけるなんて幸せね。エリザベス。彼は次男だそうだけれど、レドナップ家は彼にはもう十分なお金を用意しているらしいわ。そしたら、やっぱり家を決めるのはもう少し先にした方がいいかしら」
 エリザベスはカミラの無神経な言葉にいらいらしていた。シルヴィの前でそんなこと言うなんて。叔母のエレンはピアソン候から来た縁談の話を、カミラには言っていないだろう。だからカミラはたぶんシルヴィのことを自分の縁談の相手としては見ていない。父親の古い友人が来ただけのことだと思っているのだ。

「レドナップ海尉のお話はもういいでしょう。私もまだお会いしていないし。それより、ロード・シルヴィ。エリザベスが作った西の庭はごらんになった?」
エレンがカミラをさえぎってシルヴィに尋ねた。
「ええ。なんというか、庭師が作ったのと全く違う非常に暖かみのある庭ですね。雑然と植わっているようできちんと計算されていて、それがなんとも微妙に全て調和しているんです。植物は育つのに時間がかかるから、どんな時期に何が咲くか、育ったら丈はどのくらいになるか、考えることがあんなにあるとは思いませんでした」

 シルヴィのこの言葉に、エリザベスは少し気持ちを取り戻した。
「そうでしょう。ここの庭は草花が多いので世話がとても大変なの。夏は夏でまた成長が早いから」
「そう。まるで未開の土地みたいになるのよ。ほんと、草花はやめた方がいいわ。ねぇ、ジョン? それより果物をたくさん植えた方がいいわよね? 表ももう少し手間のかからないものにしたいし」
カミラの言葉はエリザベスをがっかりさせた。残念だけれど、あの庭はもう今年でおしまいかもしれないわ……

「いいえ、私が生きているうちはあのままよ。私の母の思い出の庭なんですから」
エレンはカミラにきっぱりそう言った。


 翌日、カミラが言ったとおり、レドナップが本当にやってきた。音楽室にシルヴィといたエリザベスは執事のビッグスに呼ばれて、シルヴィを音楽室に残したまま応接間に向かった。

「ああ、エリザベス! お元気でしたか。相変わらずお美しい。私の喜びがあなたにわかるだろうか? あなたに生きてもう一度会えるなんて! 私の心臓は止まりそうです」
この人は国のために働いていらっしゃって、とてもご苦労をされているのだわ。と考えることにしてエリザベスはこの大仰な挨拶に小さく正式なお辞儀をした。
「お久しぶりです。レドナップ海尉。無事にお帰りになられたのですね」
レドナップがエリザベスが差し出した手を取っていとおしげになで、キスをした。
「今は海尉艦長です」
「まぁ、ご出世あそばされたのですね。おめでとうございます」

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