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夜の庭 第一章 -4- |
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シルヴィがその様子を応接間の開け放った扉の向こうからじっと眺めていた。そのことが妙にエリザベスをどぎまぎさせた。 「エリザベス。私はしばらく休暇をもらいました。昨日、ポーツマスから家にも寄らずにまっすぐここにきたんです。早くあなたに会いたくて。お父上がなくなられたことは昨日、宿の主人から聞きました。残念でしたね。だから来月にはもうここを出なければならないとも……」 その情熱的な告白と人々の噂話に戸惑いながら、エリザベスは取られた手を自分の方へ戻そうとしたが、レドナップはそれを許さなかった。 「明日、私とポーツマスへ行ってください。父母に紹介したいので。兄にもぜひ、会っていただきたい」 「あの……レドナップさん」 以前と同じ強引さだ。父が生きているときもそうだった。 「どうしてデニーと呼んでくださらない? 明日の朝、八時にここを出ましょう」 「いえ。あの、レドナップさん。私、参れません。今、お客様がいらっしゃっているので」 エリザベスはようやく自分の言葉を発する間を得た。 「お客様? けど、ご親戚の方もいらっしゃるでしょう? だったら別に気にされることは……」 「私が彼女の客だが」 突然、エリザベスの背後からあのぴんと張った声がした。レドナップは驚いて、エリザベスの手を離した。 「ロード・シルヴィ・スペンサー・グロブナー」 エリザベスは今までシルヴィが自分に見せたことのないような尊大な物言いに驚いた。確かにこの人は侯爵で、自分とは違う高い身分の貴族だった。 「デニー・レドナップ海尉艦長です」 レドナップは自分の階級は何とか言えたが、突然現われたシルヴィに面食らったようで、それ以上の言葉がすぐに出せないようだった。 「悪いが、彼女は私と先約があるのでね。しばらく君に割く時間はないと思う」 シルヴィの眼光が鋭い。レドナップはエリザベスをちらと見たが、エリザベスも何も言うことができなかった。 「エリザベス。本当に行けないのですか? あなたの親戚に彼をお任せすれば……」 レドナップが小声でエリザベスにささやいた。 「予定があると言っている。それ以上何の理由が必要だ」 シルヴィの良く通る声がエリザベスの頭越しにホール中に響いた。エリザベスもレドナップもびっくりして首をすくめた。 「では、またあらためて参ります……エリザベス…近いうちに」 レドナップはあきらめきれない様子だったが、もう一度エリザベスに会釈して帰っていった。 レドナップが背中を見せた後、エリザベスは不信感いっぱいでシルヴィのほうを見た。シルヴィもこちらを向いていたのだが、彼は明らかに面白くない様子でぷいと横を向いて庭のほうへ出て行ってしまった。エリザベスはシルヴィのその尊大な態度に気分が悪くなった。私が何も持たない惨めな女だからといって、勝手に人の予定を決めてしまうなんてどういうこと? レドナップの態度もいただけなかったが、シルヴィはそれ以上に自分勝手だ。エリザベスはむかむかしながら音楽室に一人で戻り、ピアノの練習を続けた。 その日の夜の食事は全く変な感じだった。エリザベスとシルヴィは全く言葉を交わさず、子供たちとカミラだけが無邪気に喋り続けた。エレンとジョンは二人の様子がおかしいことに気づいたようだったが、それを口にはせずに淡々と食事を続けた。カミラに気づかれたら、何か言われるかもしれない。エリザベスはピアノを弾きすぎて疲れたからと言って、早々に食堂から引き上げた。 部屋に戻ると、エリザベスは自分の部屋のバルコニーで長いすに座って本を広げた。幼馴染のアリソンに手紙を書こうかと思ったが、この妙な気分のままではうまくかけそうにない。アリソンは一ヶ月前に子供を出産したばかりなので、まだ外には出られない。自分のこの状況を知らせたら、きっと楽しんではくれるだろうが、心配もするだろう。そう思うとやはり手紙は書けなかった。しばらくして、何度も同じページを読んでいる自分に気づく。全く集中できない。ああ、なんだか憂鬱。エリザベスは目を閉じてクッションに寄りかかった。ピアノを弾きすぎたのかしら。すごく疲れている。いいえ、本当に疲れているのは神経のほうだわ。エリザベスはレドナップのかわいそうな後姿を思い出していた。レドナップのことは好きではなかったが、彼は彼なりに自分のことを心配してくれている。彼と結婚することなどないと思っていたけれど。ロード・シルヴィがあんなに傲慢だったなんて……エリザベスは自分がシルヴィに期待を持ちすぎていたことを反省した。大体ピアソン卿が薦めてくれたからと言って、たかだか一週間程度一緒にいただけで、一体何がわかるというのだ。やはり、早く家を探さねば…… エリザベスが本当に眠りに落ちかけたそのとき、バルコニーの向こうで物音がして、エリザベスは一瞬にして目をさました。なんと、バルコニーの柵の向こう側で、ロード・シルヴィがこちらを見ていたのだ。エリザベスはあまりにも驚いて声が出せなくなった。 |
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