![]() |
夜の庭 第一章 -7- |
|
エリザベスがシルヴィに捕まったのは、もう泉の淵にかかるところだった。そこだけ燦々と陽の光が差し込む泉の浅瀬で、水しぶきを上げながら二人は子供のようにはしゃいだ。 「このバスケットにワインが入っていなかったら、もっと早くに君を捕まえたのに」 シルヴィはすでにしっかりエリザベスの腕と腰をつかんでいた。珍しく息が切れている。エリザベスはくすくす笑って、捕まえられた後はすっかりシルヴィに身体を任せていた。ここでどんなことがおこっても、誰も知らないし、それはきっと彼と私だけの秘密になるだろう。たとえ、この恋の結果がどうなっても。 二人は木陰に戻って、かばんの中身を明けた。薄い布を広げて、ジュリーの作ったオレンジピールの入ったパンとワイン、それにローズマリーですばらしい香りがつけられた薄く切ったチキンのローストを分け合った。 「その泉は、私が小さいころに見つけたんです。もちろん、ずっと昔の人は、ここに何があるか知ってる人もいたでしょうけれど」 エリザベスはちょっと得意げに言った。 「じゃあ、ここを知っているのは君だけ?」 「いいえ。ジョンと幼馴染のアリソンとアンドルーは知っています。私が連れてきたから。あ、そうだわ……」 エリザベスは突然立ち上がって泉の反対側の茂みに入って行った。シルヴィもエリザベスの後を追いかけた。 エリザベスは大きなブナ木を何本か見上げながら、探していた小さな木の穴を見つけ出した。そこには毎年、地リスが巣を作るのだ。もう冬眠から覚めているはず。その穴には確かに地リスがいた。まるでエリザベスが来たのを歓迎するように、彼らは2匹、3匹と巣穴の出入りを繰り返していた。 「ほら、ね? いると思ったわ。だってもう春ですもの……」 エリザベスが満面の笑みでシルヴィを振り返った。そのとき、エリザベスには思わぬことが起こった。シルヴィがエリザベスの顔を上げさせ、そっと唇を重ねたのだ。シルヴィの弾力のある唇がエリザベスのそれを捕らえたとき、エリザベスは全く身動きができなくなった。シルヴィの片方の腕はしっかり背中に回されていたし、もう片方の手はエリザベスの頭を支えていた。さっき食べたパンに入っていたオレンジピールとワインのにおいがした。なんていい香り……エリザベスは自分の頭がぐらっと回るような気がしたが、シルヴィが支えてくれているので倒れはしなかった。むしろ、その気持ちよさに思わず少し口を開いた。シルヴィはもちろんそれに応えるように、もっと深くエリザベスの口の中を味わった。シルヴィのやることをこわごわ自分でも少し返してみると、シルヴィはますます激しくエリザベスに迫り、二人はブナの木の下にゆっくり倒れこんだ。しかし、シルヴィがエリザベスの乗馬服の上着のボタンに手をかけたとき、エリザベスは初めてわれに返って身体を硬くし、シルヴィの手首をつかんだ。 それは本当に一瞬のことだった。シルヴィはすぐにエリザベスから離れた。 「すまない。こうせずにいられなかった……」 エリザベスはただ驚いていた。今のは何……? シルヴィがしたことではない。自分の頭の中で何かがはじけたのだ。エリザベスは言葉を失っていた。 「帰ろう」 シルヴィはそれ以上エリザベスの方を見ずに、布を広げた場所に戻っていってしまった。エリザベスがようやくシルヴィの後を追って戻った時には、シルヴィはもうバスケットに全てを詰め込み終わっていた。 馬のところへ戻って、屋敷へ帰るまでの間、二人はほとんど言葉を交わさなかった。エリザベスからはとても声がかけられなかった。シルヴィはただ不機嫌なように見えた。自分があんなことをしたから? まるで誘うようなことを……彼は自分をふしだらだと思っただろうか? エリザベスは自分がどういう振る舞いをしたらよかったのかもわからず、自己嫌悪で一杯だった。 屋敷へ戻った後、エリザベスはシルヴィがすぐに町へ手紙を出しに行くといって出て行った事を知った。彼は夕食の時間にも戻らず、夜遅くに人目を忍ぶように屋敷へ入った。エリザベスはシルヴィが駆った馬のひづめの音が遠くから聞こえてくるのも知っていたし、玄関の扉が開けられたのも知っていた。けれども、わざわざ自室を出て彼を迎えるようなことはしなかった。もちろん彼はそうしてほしくないに決まっている。結局、この話はだめになるのだろう。エリザベスはぼんやりそんなことを思った。これは夢だった。やはり、彼が自分を選ぶなど、ありえない事だったのだ。 |
|
![]() |
![]() |
目次へ |