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夜の庭 第一章 -9- |
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プリンストン家はサウスハンプトンではローウェル家と同じくらい古い家柄だが、勢いがあった。三人の娘のほかに息子も二人いたし、後継ぎがおらずに分家に取って代わられるローウェル家とは大違いだ。毎年行われるこのイースターの夜の舞踏会も、年々派手になって、今年はロード・シルヴィの他にもロンドンからも何人か客人が招かれているようだった。 「ロード・シルヴェイナス・スペンサー・グロブナーとレイディ・エリザベス・グレン・トーヴィ・ローウェル」 ホールの入り口で二人の名前が呼ばれると、人々の目が一斉にそこに集まった。ロンドンの社交界の寵児であるグロブナー卿がどんな紳士なのか、皆、興味津々だ。エリザベスたちの周りにはすぐに人が集まった。エリザベスにグロブナー卿を紹介してもらおうと、人々が次から次へとやってきて、すぐに人だかりができた。そのうちホストのプリンストン家も皆やってきて、ロード・シルヴィに順に挨拶した。 プリンストン家の主人、アイラ・プリンストンとその妻、ミセス・バーバラ・プリンストンは一番上の娘、ジュリエットをシルヴィに盛んに勧めた。 「さぁ、ロード・シルヴィと踊っていただきなさいな。きっとダンスはお上手よ」 バーバラがハンカチを振ってジュリエットを追い立てる。 「でも、お母様。私、ダンスはあまり得意じゃありませんのに」 ジュリエットははじめ、地方都市の女性に普通に見られるおくてな感じでシルヴィに接していたが、着ているドレスはどう見ても最新流行の袖の形だったし、豊かなブロンドの髪に飾ったダチョウの羽はかなり豪華で見栄えのするもので、今日の夜のためにあつらえたことは間違いなかった。そばにいた次女のジョアンも、それに負けず劣らず派手なガウンを身にまとっている。この姉妹は、年が近いので競争しなければ気がすまないのだろう。 「ねぇ、ロード・シルヴィ。私は姉と違って、ダンスは上手よ。フロアにいらっしゃらない?」 「いや、私のはじめのダンスの相手は決まっているので」 シルヴィはあっさりその申し出を断った。 「まぁ、ロード・シルヴィ。そのお相手ってレイディ・エリザベスかしら? でも彼女は踊りませんわよ? ここ数年、彼女が踊ったの見たことありませんもの。ねぇ、エリザベス。私がロード・シルヴィと踊るのを許してくださるわよね?」 エリザベスはその子供のような強引な物言いに唖然としながらも、あえて反論しなかった。反論のしようがなかった。 「ええ、どうぞ。私にお構いなく」 一瞬、シルヴィは自分に鋭い視線を投げたように感じたが、エリザベスの返事を聞くとすぐジョアンをいざなってフロアの真中へ出ていった。 ああ、馬鹿みたいだわ。いい年をして、まるで少女みたいに期待していた。昨日、今日のことがどうあれ、彼とはじめのダンスを踊れると思っていた。けれど、よく考えたら自分はもうとっくにそんな華やかな世代ではない。彼は自分が返事するやいなやすぐ、フロアに出て行った。男性に年齢など関係ない。若い女性のほうが良いに決まっている。背の高いシルヴィはフロアに出てもとても目立った。真っ直ぐに伸びた背筋。ぴんと張った肩から腕。そつのないステップとリード。あんな風に上手に人の間を縫って、くるくると踊らされてみたい。エリザベスは自分がとてもさびしい笑顔を浮かべているのがわかっていた。みっともない。自分がとても惨めに思えて、エリザベスは視線をフロアからそらした。 「エリザベス」 不意に自分の背後で懐かしい声がした。エリザベスが振り返った先に立っていたのはアンドルー・ヒューイット。ジョンとエリザベスが兄弟のように一緒に子供の頃を過ごした幼馴染だった。 「アンドルー!」 エリザベスはうれしくて飛び上がりそうになった。 「いつ帰ってきたの? アリソンにはもう会った? ホールに顔を出してくれればよかったのに!」 エリザベスの矢継ぎ早の質問にアンドルーはその美しい顔に満面の笑みをたたえて答えた。 「帰ってきたのは夕方。だからミサには間に合わなかったよ。妹には会って来た。ローウェル・ホールにはそういうわけで顔を出せなかった。けど、君に会いたくて、ここにきた。返事になったかな?」 エリザベスは大きく微笑んで頷き、「おかえりなさい」と言って頬にキスした。 アンドルーはエリザベスの兄のような存在だった。ヒューイット家はもともとローウェル家の遠い親戚にあたる。アンドルーの父親のブライアンはエリザベスの父親、ジョージの親友でもあったが、もう五年も前に既にこの世の人ではなくなっていた。アンドルーは表向きは家督を継いでいたが、財産もそれほどなかったため、妹をさっさと嫁がせて、母親だけでも何とか食べていけるように、その遺産の管理を母親にほとんど任せていた。そしてアンドルー自身は、ロンドンで小説家として身を立てようとしていたが、昨年の春、この母親も亡くなってしまった。エリザベスはいつかアンドルーがその固い意思ですばらしい小説家になるだろうと疑わなかったが、初めのうちはきっとロンドンで苦労するに違いないと思っていた。時々手紙はよこしてはいたものの、ロンドンに行く機会もないエリザベスには、アンドルーがどのような生活をしているのか、想像するしかなかったのだ。 「それで、今日は噂の人と一緒なんだって?」 誰から聞いたのか、アンドルーはきょろきょろとあたりを見回した。 「あ、ああ。ええ。そうなの」 エリザベスはばつが悪くて下を向いた。アンドルーは昔から、自分がシルヴィに恋焦がれていたことを知っている。 「それで、ロード・シルヴィは……」 アンドルーはフロアのシルヴィを既に見つけていた。たとえどこに居ても、シルヴィは目立つ存在だったし、またシルヴィ自身はダンスを踊りながら、こちらを見ていたのだ。アンドルーはシルヴィに冷たい視線を浴びせて、エリザベスに言った。 「エリザベス。向こうで座って話そう。この屋敷、なかなかいい温室を持ってるみたいだよ。知ってた?」 プリンストン家の新しい温室の話はサウスハンプトンでは結構な話題になっていた。ロンドンの有名な庭師と陶器屋を呼んできてレイアウトさせたと聞いている。 「知ってるけど…行けるの?」 エリザベスは温室と聞いて目を輝かせた。 「大丈夫。さっき、アイラにぜひ見せて欲しいって頼んだら、ほら、あの通路の向こう。自慢の温室らしいからね。ホールからすぐ行けるように作ったみたいだよ」 アンドルーの優しい笑顔がエリザベスをほっとさせた。温室……一体どんな? エリザベスはフロアのシルヴィを一瞬振り返ったが、彼はまだ長い長いダンスの途中だった。きっとしばらくジョアンと踊って、そのあとジュリエットとも……エリザベスはアンドルーの腕に手を絡ませて温室へ続く通路の方へ歩いていった。 |
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