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夜の庭 第二章 -6- |
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だんな様 奥様は今週ずっと続けてホレイショーさまとキュー・ガーデンとチェルシー・フィジックへいらっしゃいました。ホレイショーさまの伝でキューの管理人のフッカー氏とお知り合いになられたそうで、奥様は大変喜んでいらっしゃいました。ホレイショーさまのお話では、奥様は植物には大変な知識をお持ちだとかで、フッカー氏が舌を巻くほどの博識だそうです。今になって屋敷にあの小さな畑しかないのが申し訳ないような気がしてきました。庭は全てハドソンの管理になっておりますので。残念ながらホレイショーさまは明日バーミンガムへお戻りになります。キューへは明日からコリンがお供をいたします。 本日、グリニッジのサー・アンドルー・ヒューイットから奥様宛てに訪問お伺いのメッセージが来ましたが、奥様はだんな様がいらっしゃらないので、お断りのメッセージを返すように申し付けられました。他にお手紙なし、訪問なし。 六月九日 忠実なる僕 エヴァンズ拝 だんな様 ホレイショーさまがバーミンガムへお戻りになられてから、奥様はまた少しふさぎこんでいらっしゃるように思います。昨日、今日、おとといも外へは出られませんでした。実は昨日はまた畑のことで事件がありました。畑に撒いた種がやっと芽を出して、奥様はそれがこれから育つのを楽しみにされていたのですが、昨夜誰かが犬小屋のかぎを開けたままにして置いたらしく、朝になってすっかり畑が荒らされているのが見つかりました。昨夜コリンが犬を散歩に連れて帰った後はきちんと犬小屋の鍵は閉めたと申しております。また息子のゴードンは夜遅くにハドソンが犬小屋の方へ行くのを屋敷の二階の窓から見たと言っており、まず間違いなくハドソンがやったものと思いますが、証拠もないので何も言い出せずにおります。奥様はこのことで大変気落ちされ、せめて何か無事で残ったものはないかと畑を探されましたが、やはりすっかりだめになったようでございました。奥様にはハドソンのことは申しておりません。 今日はピアノの前にも座られましたが、少し弾かれただけで、私が気づいた時にはピアノに伏して泣いていらっしゃいました。部屋には誰も入らないように厳命しましたので、ベネ以外の他の使用人には見られてはおりません。ベネに後で訊ねましたら、やはりだんな様が帰っていらっしゃらないので、あるいはもうご自分など見捨てられてしまったのではとおっしゃられたそうです。部屋を出てこられた時には気丈に振舞っておられましたが、出来れば手紙を奥様に書いていただきたく。あのようにふさぎこんでいる奥様を見るのはつらいものでございます。なお、本日もお手紙なし、訪問なし。 六月十二日 忠実なる僕 エヴァンズ拝 結婚生活というものがこんなに寂しくつらいものだと、エリザベスは思っていなかっただろうし、人から聞いてもいなかっただろう。実際、ダイアナと結婚したすぐ後は、ひっきりなしにお祝いの訪問があったし、第一、大陸を新婚旅行で回っていたから、ただ楽しいばかりの日々だった。それなのに……シルヴィは罪悪感をぬぐえなかった。 エヴァンズはエリザベスのことをすっかり信用しているようだ。この前の手紙で、自分がいないからアンドルー・ヒューイットの訪問をはっきり断ったとあった。おそらくそのことがエヴァンズの心持を変えたのだ。と言うより確信させたと言うべきか。エヴァンズは普段から公平な人間ではあるが、エリザベスには遠巻きにも好意が感じられる。自分がサウスハンプトンにいた時にエリザベスに感じていたのと同じことを感じているのかもしれない。 それに比べて自分は……シルヴィはちくりと胸が痛むのを感じたが、あわてて否定するように首を振った。 ここで簡単に心を許してはいけない。エリザベスが本当にアンドルー・ヒューイットの恋人だったかどうかは、これからわかるのだ。この酷い状況だからこそ、アンドルーのところへ逃げていくかも知れないではないか。もう少し黙って様子をみなければ。シルヴィはエヴァンズが手紙を書いてほしいと言う頼みを忘れることにした。 しかし、次にシルヴィが受け取った手紙は衝撃的だった。 だんな様 昨日、コリンが水疱瘡にかかったことがわかり、メイドのシャノンもこれにかかってしまいました。ロンドンでは今、水疱瘡が大流行しているようです。ハドソンは何を思ったか、コリンの疱瘡の酷いところをヒルに吸わせようとして奥様にいさめられ、飼っていたヒルの壷を捨てさせられてしまいました。ハドソンはそのことに腹をたて、洗濯女中のマギーを連れて屋敷を出て行ってしまいました。具合の悪いことに、ちょうどその騒ぎの時、大奥様がバーミンガムからお着きになられ、奥様と鉢合わせしてしまいました。 大奥様はハドソンが奥様に怒鳴って去って行くのを憮然として見ておられました。ダイアナ様が特にとおっしゃって招かれた庭師ですから、大奥様もハドソンのことは良く覚えておいでです。庭師の一人も扱えないようではと大奥様は奥様のことをお叱りになられました。奥様は黙って聞いておられました。 もっときちんと準備して大奥様をお迎えしたかったのですが、突然のご訪問でしたので、そうも出来ませんでした。また、水疱瘡の件では奥様が、しばらくの間、リネンを全て焚いてから使用するようにお申し付けになり、厨房の外では一日中、大鍋が焚かれている始末です。そのため追加の薪と新しく購入したリネンの費用を月末に用意する必要がありました。大奥様は存外の出費を聞いて大変お怒りでしたので、奥様がご自分でお支払いをされると言われました。サー・ヒューイットの件については、動きがあればお知らせします。引き続き仰せの通りに。 六月十五日 忠実なる僕 エヴァンズ拝 最後の手紙を読んで、シルヴィはしまったと思った。おしゃべりなホレイショー。母が出てくるとは予想外だった。一体何を吹き込まれてきたのだろうか。もし本当にエリザベスに何の落ち度もなく、自分がやっていることが母に知れたら、次に会う時は相当の覚悟をしなければならないということだ。レイディ・オリヴィア・グロブナーは良くも悪くも昔から非常に厳格な人間だ。ある意味、亡くなった父より厳しいかもしれない。ダイアナが亡くなった後、自分がロンドンでいろいろな女性と浮名を流すようになると、母はわざわざそれを確認しに来た。ピアソンが言い訳をしてくれなかったら、母は自分の人脈のありとあらゆる手を使って自分に罰を加えただろう。 エリザベスは強い女性だが、あの母に対峙できるか疑問だった。もし、エリザベスがヒューイットと何らかの関係を続けていれば、あの勘の良い母がそれを見逃すはずはない。それだけでもエリザベスが屋敷から逃げていく可能性は十分にある。なんだか変なことになってきたが、もうしばらくここで状況を見よう。良くも悪くも母が何らかの形で作用することは間違いない。シルヴィはメイフェアの局留めでエヴァンズに手紙を書いた。 エヴァンズ殿 もうしばらく様子を見られたし。レイディ・オリヴィアにはこのことは内密に願う。 六月二十日 シルヴェイナス |
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