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夜の庭   第三章   


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 翌日の夕方、ロード・シルヴィはメイフェアの屋敷に一月ぶりで戻ってきた。
レイディ・オリヴィアが去った後、気の抜けたようになっていた屋敷の空気は主人が帰ってきたことで一変し、今度は程よい緊張感が漂っている。

 ロード・シルヴィの馬車が車寄せに入ってくると、エヴァンズは玄関の外でロード・シルヴィが馬車から降りてくるのを出迎えたが、エリザベスは玄関ホールの中で女中頭のメイシー、侍女のベネと一緒に彼を待っていた。ホールの扉が大きく開いて、以前見たままの大柄なロード・シルヴィの姿を見たエリザベスは、心臓がひどく波打つのと同時に涙がどっとあふれそうになり、使用人たちが礼をする傍らにシルヴィをぼうっと見ていた。こんな時に、普通の妻なら走り寄ってキスするだろうか。しかしエリザベスはそこから一歩も動けなかった。一ヶ月前に自分と結婚したその人が、本当に目の前にいる人と同じ人物かどうか良くわからなかったのだ。

 ロード・シルヴィは以前、ローウェルの館でもそうだったように大またでホールに入ってきた。そして、出迎えの使用人たちが「お帰りなさいませ」と声をそろえて言うのに応えるように大仰に訊ねた。

「今帰った。変わりはなかったか」

変わりはなかったか……? ええ、それはもう。たくさん。大変なことがありましたわ。あなたがひと月、いない間に。

エリザベスがその返事を飲み込んでいる間に、メイシーとエヴァンズが顔を見合わせ、エヴァンズが返事をした。
「何も変わりはございません」

 シルヴィは何も言わないエリザベスを一瞥すると二階の自分の部屋へ向かうため、ホールの階段を上り始めた。エヴァンズがそれに続き、エリザベスもメイシーに促されてその後を追いかけた。

主人の寝室で、シルヴィは着替えをはじめた。エリザベスは主人が上着を脱ぐのを見て思わず目をそらした。それを見ていたエヴァンズは着替えを手伝いながらエリザベスを励ますように微笑んだ。

「エリザベス。急な話だが、今夜アーガイル公のところへ行くことになった。君も一緒だ。先月私が出かける前に言っておいたガウンは出来上がってきているか」

シルヴィの白いシャツがまぶしい。男性が服を脱いでいくのに慣れていないエリザベスは視線をはずしながら話を聞いていたが、「はい」と返事は返した。

 結婚式が終わったあと、シルヴィはどこに行くともいわず、仕事だといってすぐ出かけてしまった。外出用のガウンは新調するように言われていて、出入りのテーラーが、ドレスメーカーのファッションプレートをたくさん持って家にやってきた。テーラーはエリザベスのサイズをあちらこちら測っただけで、エリザベスの意見も聞かず、二週間後にはシルヴィの服に合わせて五着も新しいガウンを持ってきていた。
「よろしい」
やっと口をきいたエリザベスを不審に思うようなそぶりでシルヴィは言った。

 アーガイル公はスコットランドの名家で、王室とつながりも深い。わかってはいたが、シルヴィの出入りする場所には、高い身分の貴族が多い。こんな集まりがこれからたくさんあるのだと思うと、シルヴィが帰ってきてくれたこととは反対に気がめいるようだった。


 ここに来てから何日もしないうちに、自分が愛されて結婚したわけではなかったのだと、エリザベスは理解していた。その理由は結婚式の後のシルヴィの冷たい態度であり、テディ・フィッツハーバートのもたらした情報であり、ロンドンのこの屋敷に初めてやってきたときからずっと飾られている、階段の踊り場の美しい女性の絵だった。同じ人物の絵は今日初めて開け放たれたシルヴィの書斎にもあった。それは紛れもなく亡くなったシルヴィの妻、ダイアナだった。ダイアナに対して恨むような気持ちはないけれど、彼女がシルヴィに愛されたことは間違いない。いや、今も……

「――時にでかける。その愛想のない頭を何とかしてもらいたまえ。ガウンはできるだけ華やかなものを」

「あ、あの。ええと、何時とおっしゃいました?」
エリザベスはシルヴィが言ったことを聞いていなかった。

「まだ若いのに耳がそんなに遠いようでは困るな。それとも、普段家にいない主人の言うことなど聞く耳もたぬか? 6時と言ったのだ。メイシー! エリザベスが遅れないように支度をしてくれ」
シルヴィはそう言って新しいシャツに手を通しながらエリザベスに背を向け、書斎の奥へ出て行った。エリザベスはシルヴィの背中をさびしげに見つめていた。

「せっかくだんな様が帰っていらっしゃったんです。うちの奥様がどんなにきれいだったか思い出してもらいましょう。さ、こちらへ」
ベネは怒ったようにそう言ってエリザベスを化粧室へ連れて行った。



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