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夜の庭   第三章   


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 こうして、ほとんど1ヶ月が過ぎたころ、シルヴィはとうとう根負けして屋敷に戻ってきた。いつまで待っても彼女には何もやましいものは出てこない。エヴァンズの電報はまるで脅迫のようだった。

「モドラレナケレバホレイショーサマニタスケコウ」

 エヴァンズは忠実で優秀な執事だ。正直、執事にしておくにはもったいないくらい有能だ。そのエヴァンズが、そんな電報をよこすという事は、よっぼどのことだ。レイディ・オリヴィアはただでさえ一筋縄ではいかない人間だし、もしエリザベスが間違いを犯したら、たぶん自分がその場にいないのをいいことに、エリザベスを追い出してしまっていただろう。しかし、エヴァンズはそんなことは望んでいなかった。母に覚えの良いホレイショーを呼ぶ。つまりエリザベスをなんとかして助けたかったのだ。結局、あれはただのうわさだったのか。美しい女性を妻に迎えて、人からねたまれるのはしかたがないが、噂に振り回されるとは、自分もすっかりヤキがまわってしまったらしい。

 シルヴィはエヴァンズが持って入った自分の旅行かばんの中から、パリでエリザベスのために買ったルビーとダイアモンドがちりばめられたネックレスを取り出した。彼女をひと月も放っておいたのが後ろめたい。しかし、エリザベスが自分の妻でいる限りは、グロブナー侯爵の妻として見合うようにしてもらわなければならない。本人が望むと望まざるとにかかわらず。


 五時を三十分ほど回ったところで、奥様の髪はもう結いあがったと聞いて、シルヴィはエリザベスの化粧室にやってきた。自分の支度はもうすっかり出来上がっていて、あとは妻が出来上がるのをそばで見ているつもりだった。

 シルヴィが化粧室にノックもせずに入ったので、中にいた女たちが驚いて声をあげた。
「なんだ。皆で大声を出すな。服を着ていないのは妻だけだろう」
エリザベスの様子を姿見越しに観察しながら、シルヴィはそばまでやってきて赤いビロードのソファに腰掛けた。

 エリザベスは真っ赤になって大急ぎでボディスの紐をしめさせ、やわらかいクリーム色の地に金色とピンクのバラの刺繍の入ったガウンをつけた。後ろのリボンをベネともう一人のメイドが結びおわると、シルヴィは立ち上がって、例の首飾りを箱から取り出した。そしてエリザベスの後ろから、それを首に巻こうとしたのだが、エリザベスの首には小さいが精巧に出来たダイアモンドとエメラルドのロザリオがかかっており、シルヴィはそれに目を留めた。
「これは……」
白いうなじがピンク色に染まっている。
「母にもらいました」
シルヴィはちょっと考えて「今日ははずしてもらう」と言い、それをはずしてから、自分が取り出した大きな宝石のついたネックレスをあてた。

「美しい……」
シルヴィは鏡越しにエリザベスの顔をまじまじを見つめた。エリザベスは緊張が解けずに少し震えるようだった。
「これはその美しい顔をさらに引き立てる」
シルヴィはエリザベスが驚いて見上げるその顔をじっと見つめて留め金を止めた。
「パリで買ってきたのだ。たまには散財もいいものだ。君は金の使い方を知らないらしいが」
エリザベスの顔には不審の色が浮かんだが、思い直したように「ありがとうございます」と礼を言った。そしてはにかむように下を向いた。まるで少女だ。

「エリザベス。私といるときに下を向いてはならない。ちゃんと私のほうを見ろ」
シルヴィの指がエリザベスのあごを捕まえた。美しい。ピンクに染まった透明な肌。虹彩の大きな深いブルーの目。赤い唇が自分を誘っているような気がして、シルヴィは思わずキスしそうになったが、思い直して腕を下げた。エリザベスが小さくため息をついたのをシルヴィは見逃さなかった。

それは安心のため息か。


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