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夜の庭   第三章   


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 バルフォア書店に見張りをつけてから二日が過ぎた。その夜中、リージェント・ストリートのキューズ・インに泊り込んでいるシルヴィのところへ、サー・ヘンリーが慌てた様子で飛び込んできた。

「シルヴィ! バルフォア書店が燃えてる。コヴェント・ガーデンのあの界隈が大騒ぎになってる」

 シルヴィは大急ぎで着替えて、サー・ヘンリーと一緒にコヴェント・ガーデンへ向かった。狭い通りの端にかかったところで煙が上がっているのが見えた。通りが見渡せるところへやってくると、店はもうすっかり焼けていて、真っ黒い店内へ警察が入っていくところだった。燃えやすいものばかりがあったのだろうから、これだけ燃えるのも当然だ。あたり一面に物が焼けたものすごいにおいが漂っている。野次馬や近所の店の人間が大勢いてごったがえす中、サー・ヘンリーは見張りにつかせていた少年を探し出した。
「ずっと見張っていろと言ったではないか。なぜこんなことに……」
「腹が減っていたんです。だからちょっと家に戻ってチーズを持ってこようと思って……戻ったら、店から男が走り出てきて……あの、聞いてた男だと思います。額にあざがある茶色い髪の……それであっという間にいなくなってしまったんです。店からもう火があがっていたし、とにかく消さなくちゃって……」
少年は半分泣きそうになっており、パニック状態だった。
「出てきたのは例の男だけか?」
「そうです」
少年の顔を涙が伝っている。
「わかった。ここはいいから、もう家に帰れ」
サー・ヘンリーは少年に硬貨を何枚かを持たせて家に帰らせた。店の火はもう消えていたが、消えたばかりなのか通りは熱気でものすごく熱い。
「スコットランドヤードの責任者と話をしよう。店主が逃げたのかどうか気になる。あるいはあの中か……」
シルヴィは激しく燃えた店をちらとみた。

「ジャン・ロワンの宿はランベスだったか?」
「ええ」
店の全面のガラスが突然はじけ飛んだ。サー・ヘンリーとシルヴィは慌ててその場にいた野次馬たちと一緒に後ろに下がった。サー・ヘンリーが野次馬をさばいているスコットランドヤードの責任者を連れてきた。
「私はヘンリー・スペンサー伯爵。こちらはグロブナー卿」
連れてこられたスコットランドヤードの責任者は名前を聞いて驚き、一歩後ろに下がって礼をした。
「マーティン・プール警部補です。何か、ご存知のことでも?」
「ああ、それが大ありなのだ」

 シルヴィはプール警部補にこの古書店の店主が見つかっているか訊ねた。警部補は今しがた店主らしき人物が店内から黒こげで発見されたと教えてくれた。
「それが……どうも焼死ではないようなのです。胸にナイフらしきものが刺さっていました。情報があるとおっしゃいましたか」
プール警部補の茶色い目がぎらりと光った。
「ああ。実は私たちはあるフランス人の男を追っていて、もしかすると、そいつがこのバルフォア書店の店主を殺して火をつけたのかもしれないと思っているのだ」
シルヴィが言った。
「ジャン・ロワンという名前のフランス人で、茶色の目をしている。髪は赤。額の左側に大きいあざがあるらしい。ランベス・ロードにある宿に泊まっている……何と言ったか」
「レッド・フォックス・インです」
サー・ヘンリーが答えた。

「彼がやったという証拠がありますか?」
警部補は当たり前のことを訊ねた。証拠もないのに犯人呼ばわりはできない。
「―-証拠は何もない。が、動機はある。彼は私たちが探している国家機密の地図を同じように探していた。バルフォア書店の店主がそれを持っていたようなのだ」
「ほう……そんな大事なことをこんなところで話されても良いのですか。場所を移しますか?」
「時間がない。ジャン・ロワンに逃げられては困る。しばらく捕まえずに泳がせておいて欲しいのだ。もし、その地図を持っていないなら、地図を持っている人物を探そうとするだろうし、持っているなら、ジャン・ロワンはそれを売るために必ず誰かと接触する。フランスへ帰られる前に、こちらで接触相手のスパイを探し出したい」
「つまり、私たちに人を出せと」
「端的に言うとそういうことだ。君たちにも損はないはずだが……」
「なんだか大きな話になってきましたな。ただの火事だと思っていたのに」
プール警部補は顔をしかめた。
「君が決められないなら、決められるように上から話を通してもいいが、そうしたら、手柄は君のものにはならないだろうな」
シルヴィは自分の背の高さを十分に意識して、警部補を見た。

「わかりました。私服の警官を出しましょう。ランベスのレッド・フォックス・インですね」
「くれぐれも、逮捕はすぐしないように頼む。もし、また何か事件を起こしそうになったら、そのときは捕まえてもいいが」

 スコットランドヤードは役には立つが、小回りが利かない。シルヴィはプール警部補に念を押した。自分たちはジャン・ロワンが接触する相手を絶対に探し出す必要がある。バルフォア書店の店主が地図そのものを持っていたかどうかは定かではないが、以前ロンドンであったフェアから二年も経っていることを考えればもう売りに出したと思うのが普通だ。店主が殺されたのは、持っていた情報を出し渋ったか、もしくは値段を吊り上げたかのどちらかだろう。メアリーと一緒にあの地図を探しに行ったときに提示した額より高い金額を言ったに違いない。欲に目がくらんだか……もともと何の関係もなかっただろうに。シルヴィは店主を哀れんだ。

「何かあったら外務省へ遣いを出してくれ」
シルヴィは自分のカードを警部補に差し出した。


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