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夜の庭   第三章   


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 アーガイル公の屋敷の奥の部屋には、今日ここに呼ばれてきた本当の理由をもった人々が集まっていた。アーガイル公、その後継者のローン候ジョン、ロード・シルヴィ・グロブナー、サー・ヘンリー・スペンサー、ジャック・フィッシャー海尉、それにメアリー・ラロルシュ伯爵夫人である。

 この集まりはごく限られた身分の高い貴族と、愛国者として認められた者だけで構成されていた。はじめはフランス革命の後に英国に亡命する貴族たちを助けるために自主的に集まった者たちの組織だった。それが最近では、政府が手出しをするところが難しい、国政に影響の大きい外国の王室や貴族たちの間から情報を取る重要な役目を担う組織となっている。

組織の今の長老であるピアソン候はフランスへ行っていた。皆が集まったのを見計らって、実質的なリーダーであるシルヴィが口火を切った。

「そろったか。あまりここでぐずぐずしていられないぞ。五分で終わる」
「はい」
シルヴィといつも行動をともにしているサー・ヘンリーが答えた。
「コールマンは来ているか」
「さっき私がフロアに案内した。ルイーズには今日はシルヴィがマダム・ラロルシュに張り付いて様子を窺うことになっていると言ってある。たぶん、コールマンの耳にも入るだろう」
ローン候が言った。アーガイル公の屋敷で行われるこの食事会を利用して、普段の集まりにはいないメアリーとコールマン海軍司令官をゲストに呼んだのは、彼らを対面させて様子を見るためだった。二人を呼んだのが不自然に感じられないように、今日に限っては彼らにつながる他の人間も招待されている。アーガイル公の妻とローン候の妻ルイーズは招待客を選択するのにずいぶん悩んだに違いない。表には出てこないが二人もこの組織の強力な支持者だった。

「もし、君が言っていた人物がコールマンその人だったら、彼はいずれにしろ、君に何らかの行動を取ってくるだろう。今までは相手がはっきりしないままだったが、顔を見せたらもっと危険な目に遭うかもしれない。本当にいいんだね?」

 この食事会でシルヴィは、フランスでメアリーの夫フィリップにイギリス行きをもちかけた人物がコールマンだったかどうか確認させようとしていた。フィリップは貴族でありながら、新型の装甲艦の設計に携わっていた。ルイ・ナポレオンがイギリスに渡ってくる時、フィリップはメアリーと共にイギリスに逃げようとして失敗し、パリ・コミューンの残党に捕らえられた。メアリーは命からがら一人で英国へ戻ってきたが、フィリップが捕らえられたのは、手引きをしたイギリス人がだましたからだと考えていた。なぜなら、自分たちの命と引き換えに、フィリップがそのイギリス人に設計図の一枚を渡していたからである。

「もちろん。覚悟は出来ています。これまでも何度も死にそうな目に遭っているのよ。今更怖がることなど何もないわ」
メアリーはそう言って長いキセルで煙草を吸った。

 シルヴィは家を開けていたひと月の間、フランスである地図を探していた。その地図はメアリーが夫とはぐれた後、他の荷物と一緒に盗まれてしまったものだった。メアリーによると、フィリップはルイ・ナポレオンが作らせたピレネーにある要塞の数々を知り尽くしていた。ルイ・ナポレオンがイギリスに亡命した後、その要塞のほとんどは、パリ・コミューンの残党たちが再起を狙って隠れ住むアジトに使われている。メアリーが持たされていた地図はその数ある要塞の一つだった。そこは地中海にほど近く、山の断崖が入り口を隠すように出来ているらしい。要塞の奥には大きな弾薬庫を備えているが、山の険しさのためにまだ入り口さえ見つけられていなかった。
 大英帝国としては、ジブラルタルからスエズ運河へ抜ける船に、略奪を繰り返すスペインやフランスの海賊を何とかする必要があった。スエズを通ってインドへ出て行く英国の船は宝船のように彼らには映っているだろう。それを狙わない手はない。しかし、フランスも同盟国となった今は、イギリスに協力せざるを得ない。英国は出来ることなら、今のフランスとの良好な関係を維持したまま、地中海側での補給路も確保したいのだ。

 一方で、フィリップは捕らえられてはいるが、まだ殺されてはいないだろうとシルヴィは考えていた。なぜなら、ルイ・ナポレオンが亡命して五年もたつのに、その新型の二重底の装甲艦を作った国があるという情報を聞かないからである。もしフィリップが生きているとすれば、パリ・コミューンの残党がいるどこかの要塞に連れて行かれているだろう。それもどこか海に出るのに遠くないところだ。フィリップがそのあたりの要塞に連れて行かれている可能性は非常に高かった。

 先月、パリの古書店を方々訪ね歩いた結果、その地図を扱った店は見つかった。ただし、それは二年も前にフランスからイギリスの古書店に買われてしまっていた。自分たちの後を追うように、同じように地図を探している人物がいることをシルヴィが知ったのはその直後だった。

「フランスからは何か言ってきたか」

「昨日、ポーツマスから電報が来ました。ペルピニャンから来ていた男は、やはりシェルブールからポーツマスに入っているようです。その後の足取りはまだつかめていません」
シルヴィの後をついで、フランスからから戻ってきたばかりのサー・ヘンリーが言った。
「そうか。早く探さないと、そいつに先を越されるかもしれないな」
「古書店は組合を持っていますから、その販路をあたります。二年前のその時期には確かに古地図のフェアがあって、パリにも地図を扱う古書組合の人間が何人も買い付けにやってきたそうです」
「彼らはすごい記憶力と組織を持ってる。十字架と蛇の模様の筒と言えば絶対に覚えている人間がいるぞ」
「そうですね。今日、そこの組合長と話をしてきました。ついでに自分たちと同じものを探しているフランス人が来たら知らせるようにとも」
「わかった。動きがあったらすぐ知らせてくれ。ジャック、君の方は?」
ジャッキー・フィッシャーは中国から帰ってきた後、海軍でのコールマンを見張っていた。シルヴィが調査することになったロシアへの情報漏洩に初めに気づいたのはもともと彼だった。
「コールマンが陸に上がっているときに、必ず行くサロンがあります。そこに、ミハイル・ボシュコフというロシア人のピアニストがいて、コールマンは彼とかなり親しくしていると聞きました。調べて見ましたが、ボシュコフの父親はロシアの軍人です。兄も海軍にいて、もしかするとフィンランドで僕らは戦っていたかも知れません。ボシュコフには既に見張りをつけています。僕はこの線が一番怪しいと思いますね」
「つながっていることがはっきりしたら、証拠集めにかかってくれ。コールマンの方が難しいなら、ロシア人のほうから攻めよう。場合によってはスコットランドヤードを動かしてもいい」

廊下の先から、執事が「お食事の用意が出来ました」と言う声が聞こえた。シルヴィたちは集まっていたことがわからないように、その部屋の三つの扉から時間を置いて分かれて出ていった。



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