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夜の庭   第四章   


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息が出来ない……息が……身体に服がまとわりついて動くこともできない。このまま溺れ死ぬの?

 エリザベスが気を失っていたのは一瞬だった。シルヴィはエリザベスの腕を取って水場から引き上げた。そこは大して深くはなかった。ただ濡れた服が恐ろしく重いだけだ。

 それからシルヴィは庭から外に出て辻馬車を拾い、文句を言う御者にいくらかを握らせ、びしょぬれのエリザベスを馬車に押し込んだ。そして、自分も一緒に乗ってメイフェアの屋敷に戻った。


屋敷に着くと、エヴァンズが迎え出たが、二人の様子を見て顔をしかめた。一体どうしたのかと問いたいのをこらえて、エヴァンズはすぐ湯を沸かすように女中たちにいいつけた。

エリザベスには使用人たちのひそひそ話が聞こえるようだった。ベネが傍にいないのがつらい。

――一体、どこで何をしていたんだか。コリンをだましていなくなったかと思えば、だんな様とあんな格好で帰ってきて……

しかし、エリザベスにはもうどうすることもできなかった。まさか、シルヴィにあんなところで会うなんて……エリザベスはシルヴィの言いつけで先にバスタブを使った。煙の匂いでひどいことになっていた頭を洗い、身体を温める。こんなときにこそベネにいて欲しいのに……あまりにもたくさんのことがいっぺんに起こって、エリザベス自身も混乱していた。




 エリザベスに湯を使わせている間に、屋敷にはサー・ヘンリーがやって来ていた。濡れていた頭を無造作に拭いてローブを羽織っただけのシルヴィを見て、サー・ヘンリーは言った。
「今、メアリー・ラロルシュを送ってきたのですが……彼女が言っていたのは本当だったのですね。ミセス・グロブナーと一緒に池に飛び込んだと」
「ああ。全く、ひどい目にあった。一体、何が起こっていたのだ。あのクラブは」

シルヴィは自分でグラスにウイスキーを注いでサー・ヘンリーに渡した。そして自分にも注ぎ、それを一気に飲み干した。
「どうも、あそこにジャン・ロワンが来ていて、女性の首から何本かネックレスを盗んだみたいです。ガス灯が消えて、悲鳴が聞こえませんでしたか?」
「ああ。確かに……」
アンドルー・ヒュ―イットとエリザベスを見かけたすぐ後、ガス灯が消えた。シルヴィはサー・ヘンリーにも自分にもウイスキーをもう一杯注いだ。
「それで、尾行していた警官が奴を捕まえようとして、大騒ぎになったのです。奴はあっという間にボールルームから消えて、ガスを供給しているところに火を投げ込んだようです」
「それであの爆発か……なんて奴だ」
シルヴィは天井を見上げて、ウイスキーを口に入れた。
「――全く……いくら建物が古いからって、本当に大損害ですよ。今度はあなたにも出資してもらいますからね」
貧乏芸術家に理解のあるサー・ヘンリーはそう言ってにやりと笑った。
「ところでさっき、プール警部補にも会ったのですが、あの男はフランスでは強盗で何度も捕まった前歴があるそうです。フランスの警察に問い合わせたら、山ほど資料を返してくれたと言っていました」
「コールマンは結局誰も見なかったか?」
「ええ。残念ながら。あの騒ぎでは、誰がどこにいたかさっぱりわかりません。けど、ジャン・ロワンはコールマンに用があったのでは?」
「そうだろうな。だが、ネックレスに目がくらんだか……ブルジョワ連中が大勢いたからな。おかげで、また振り出しに戻った。スコットランドヤードが追ってることがわかったのなら、奴はランベスの宿には戻っていないだろうな」
サー・ヘンリーはウイスキーを口に含みながら首を振った。
「これからもう一度、作戦を練り直す。君も今日は家に戻りたまえ。外泊ばかりだと、君の母上に恨まれる」
「もちろん、そうするつもりです。言っておきますが、あなたはもうずいぶん前からうちの家では悪者ですよ」
最後の一口を飲み干して、サー・ヘンリーは帽子を手に取った。

「そうだろうと思った」





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