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夜の庭   第四章   


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 翌日は、メイフェアの屋敷に、サー・ヘンリーとメアリー・ラロルシュが例の地図を見るためにやってくることになっていた。その前に、シルヴィはエリザベスの父親がどうして地図を持っていたのか聞いておく必要があった。それを知っていればだが。

 案の定、エリザベスは父親が何をしていたのか知らないと言った。シルヴィ自身は、実は心当たりがあった。自分が組織に入る前、まだ駆け出しの外交官だった頃、ピアソンは長いことジョージ・ローウェルと仕事をしていたのだ。ローウェルは外交官ではなかったが、自分と同じように語学に堪能で、亡くなったアルバート公とも非常に親しかった。

「この話をするには、私にも覚悟が必要だ。君には話すまいと思っていたが……」
シルヴィはエリザベスの手を取って長いすに並んで座った。
「――父は……あなたと同じ仕事をしていたのでは?」
切り出しにくそうなシルヴィに変わって、エリザベスが訊ねた。シルヴィは片方の眉を上げてエリザベスを見た。
「やはり、知っていたのか……ケイティから聞いたんだな。ただ、君の父上の事は、本当のところは私は知らないのだ。だが、おそらくそうだろう。君が考えている通り。ピアソンが帰ってきたら、聞いてみなければ。大体……」
シルヴィはそこまで言って口を閉ざした。
「――大体、私たちの結婚も、ピアソン卿が仕組んだことだった……? 殿下を巻き込まなければならないほどの何かがあったということですわね」
「君にはかなわない。こんなに賢い妻を持つことになるとは。全てお見通しなのだから」
エリザベスの頭を抱くようにしてシルヴィは言った。


 午後、二人が来る前に、スコットランドヤードからのメッセージが来た。フリート街の路地で、ジャン・ロワンの死体が見つかったという知らせだった。用済みになって殺されたのだ。スコットランドヤードに捕まっていれば、もう少し長く生きられただろう。これでロンドンで得られる手がかりはもうなくなってしまった。シルヴィはいよいよ自分たちがフランスへ行かねばならなくなったということにがっかりした。せっかくこのかわいい妻と心を通わせたというのに……エリザベスは何も言わないで自分を見送るのだろうが。それを考えるとますますシルヴィはエリザベスをいとおしく思った。



 アーガイル公の屋敷では紹介もしなかったが、シルヴィはメアリーにエリザベスを妻として引き合わせた。エリザベスは控えめに微笑を絶やさず、メアリーにひざを折った。シルヴィは内心、心配していたのだが、まるでわだかまりなどなかったかのように二人はすぐ打ち解けた。元々エリザベスをこの組織の話に加わらせるつもりはなかったシルヴィは、エリザベスに部屋に戻るよう言ったが、メアリーはエリザベスの額の傷を見て、自分の話は彼女にも聞いて欲しいと言った。
「彼女に聞いてもらったからといって、何かを期待しているのではありません。けれど、これまでずっと我慢してきた彼女には聞く権利があると思うわ」
シルヴィは少しの間考えて、エリザベスをその場に残らせた。


 スコットランドヤードが押収した地図をシルヴィが開けると、メアリーは夢中になってその上にかがんだ。
「この奥様が別の筒に入れ替えてくれたおかげで元の筒はなくなってしまったのだが」
シルヴィが笑って地図の端を重しで抑える。
「ああ、筒などどうでもいいのよ。必要なのはもちろん中身だったのだから――」
ざっと地図を見てメアリーが説明をはじめた。
「ルブラン要塞の地図は元々ラトゥール・ドゥ・カロルの先代の城主が作らせたの。要塞の入り口は、全部で三つしかありません。ピレネーの山すそに二つ。とてもわかりにくいように作られていると、夫のフィリップは言っていたわ。それからあとの一つは実はラトゥール・ドゥ・カロルの街中にあるのだけれど、こちらの方は今、要塞を占拠しているパリ・コミューンの人間にも多分、見つかっていないと思う。すごく長いトンネルで、十四世紀からずっと地下を掘り続けて作ったものらしいわ。だから、要塞から街中に誰かが行き来するのも可能なのだと」
「けど、見つけられない?」
サー・ヘンリーがシルヴィからウイスキーのグラスを受け取りながら訊ねる。
「ええ。フィリップはそこが埋まってなければ良いがってずっと言ってたの。ああ、ああ、その理由が今、わかった……!」
メアリーが、その街中に出る通路を指でたどっていた。
「入り口は何かの建物の中ね。多分。それにここ」
指が示したその通路の要塞側の口の程近いところに蛇と十字架をあわせた印がつけられている。メアリーは胸を抑えた。
「ああ、とうとう本当のことを言わなければいけないところまで来た……」
「本当のことって?」
サー・ヘンリーはメアリーにワインを注いで渡した。
「この地図に設計図が張り付いていたでしょう?」
エリザベスはメアリーに訊ねられて、頷くしかなかった。
「あの設計図は、ただ、概要を示しただけのものなの。私たちが、イギリスへ逃げるために二枚作って、一枚はとられてしまったけれど、もう一枚はこれに貼り付けていたの」
シルヴィがそれを取り出して見せた。エリザベスにはそれが船の設計図だということはわかったが、それ以上に何かがわかるものではない。
「これは、取られたものと同じ物。本当の設計図はもっと何枚もあって……」
「ここにあるのか」
シルヴィがメアリーの言葉の後を取った。その指が示した先に、蛇と十字架の印がついた通路の地図があった。閉じられてしまっているかもしれない通路の途中に設計図は隠されている。

一瞬、沈黙が流れた。シルヴィがその沈黙を破った。
「メアリー、そんなことはわかっていたのだよ。もちろん。装甲艦の設計図が一枚なんてことありえないからね。ただ、あいつらもそれを知っているかどうかが気になる。この地図と一緒にその本物の設計図があると思っていたら、奴らはもう諦めたかもしれない。スコットランドヤードがあの部屋を抑えてしまったから。だが、そうでなければ、こちらを追いかけてくるに違いない」
メアリーはしかし、下を向いてため息をついた。
「――ええ、おそらく知っていると思うわ。だって、フィリップとその設計図を一緒に作ったアンドレ・ポーは拷問されて殺されたのですもの」


「どうやら本当にフランスへ行くべき時がきたようだ」
シルヴィが言った。




 メアリーのことをシルヴィはどんな風に考えているのだろう。エリザベスはメアリーのことを今ではとても気の毒に思っていた。シルヴィはおそらくフランスへ行って、メアリーの夫を探すための大義名分を探していたのだ。誰も多くは語らないが、今更、フランスの貴族のことなど哀れに思って助けてくれる人間などいない。イギリスへ渡ってくるためには、それなりの対価が必要だった。メアリーの夫は貴族でありながら装甲艦の設計をしていた。イギリスの政府を動かすには、何かの証拠がなくてはならない。だから設計図を例え一部でも手に入れる必要があったのだ。

イギリスで出来ることはもうない。いよいよ、フランスへ。つまり、要塞の中へ入って、設計図とフィリップ・ラロルシュの居場所を探しに行くのだ。


 夫が危険なことをしようとしているのはわかっていた。エリザベスはそれでも行かないでくれとは言わなかった。夜、二人が帰った後、エリザベスはシルヴィに身をまかせながら、ただ、「必ず戻ってきて」と言うだけだった。


夜の庭 第四章 - 完 -

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