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夜の庭   第四章   


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 自分の下宿へ戻ったアンドルーを追いかけるように、シルヴィはグリニッジへ馬車を飛ばした。アンドルーのことを以前調べに行かせたゴードンは、彼の下宿がどこにあるかよく知っていた。グリニッジのアンドルーの下宿では、エリザベスの手紙を見たアンドルーがシルヴィを待ち構えていた。

「来ると思っていました。エリザベスはこれを置いて行きました」
シルヴィはアンドルーからエリザベスの手紙を受け取った。

 私の大事なアンドルー

 このような手紙を書かなければならなくなったのをとても残念に思います。シルヴィがあなたと私の仲を誤解していて、決闘すると言っています。こんなことにあなたを巻き込んでしまった私を許してください。どうか、もうひとつお願いをきいてくれないでしょうか。夫の気が治まるまで、しばらくロンドンを離れていただきたいのです。私は自分のわがままのために大事な友を傷つけたり、失ったりしたくありません。本当に、本当にごめんなさい。
                                            エリザベス


「自分の夫の気持ちを確かめることがわがままだと言っているのです。かわいそうに……」
アンドルーはブランデーをシルヴィに手渡しながら言った。
「彼女は、他に行くところがあるか?」
「ストランドの彼女の父親の借りていた部屋にいるでしょう。そこしか行くところもありませんから」
「ストランド?」
「昔、ローウェル伯がここで借りていた部屋をそのままにしてあるのです。いずれジョンが使うからと」
シルヴィは自分の知らないエリザベスをアンドルーが知っているのが面白くなかった。それでもここはどうしても手を貸してもらわなければならない。
「案内してくれるか」
「ええ。一緒に行きましょう」
「すまない」

 シルヴィはアンドルーとともに自分の馬車でストランドに向かった。馬車の中で、シルヴィはアンドルーからエリザベスがどんな子供だったか、シルヴィのことをどんな風に恋焦がれていたのか聞かされた。そして、アンドルーは他人がそれを噂する前から自分はエリザベスの兄だと思って過ごしてきたのだと言った。
「エリザベスのことをもっと理解してやってほしい。彼女はあなたが好きだから、何も望まないと言っていた。けれど、それではあまりにかわいそうだ」
アンドルーの美しくて寂しい笑みはシルヴィを責めるようだった。

自分の知らないエリザベスを知っている男……今朝の告白が無ければ、本当にこの男の首をひねっていただろう。この男にはじまったことではない。自分以外の人間が皆、自分が知らないエリザベスを知っている。シルヴィはうんざりして頭を抱えた。


 ストランドの裏通りの瀟洒な家が立ち並ぶ一角で、アンドルーは馬車を止めるように言った。馬車を降りてアンドルーが「そこだ」と建物を指差した時、二人はその建物の三階の窓から外をのぞく男の影を見た。

――あれは、まさか……

額に大きなあざがあった。逆光だったが、おそらく髪は赤……シルヴィはそう思った途端、駆け出していた。――一体、どうしてこんなところにいる? まさか……

らせん階段の上のほうで、ばたばたと誰かが駆け回っている音がする。
「誰? うるさいわね!」
住人の誰かが、どこかの部屋で叫んだ。シルヴィは大急ぎで階段を上がった。アンドルーが後から追いかけてくる。

「エリザベスは? どの部屋だ?」
階段の上からシルヴィが身を乗り出してアンドルーに訊ねた。
「部屋は三階だ。全部ローウェルが借りてた」
昔、肺を患い、急激な運動は堪えるアンドルーは、階段の下から歩いてきて上を向いて叫んだ。

三階に先にたどり着いたシルヴィだったが、ジャン・ロワンの影は見失った。あれは確かに、ジャン・ロワンだ。どうしてここへ……? 昨日、自分は嫉妬に狂って全ての仕事を放棄した。サー・ヘンリーには作戦を練り直すと言ったが、後のことを考えようとしても、考えられなかった。嫌がる彼女を抱いて、これから夫婦としてやっていけるのか、そればかりが気になった。信じられない出来事だ。まさか自分がこんな風に我を忘れるなど。 ジャン・ロワンの顔を見かけたことは、シルヴィにとっては落ちてくる鉄槌のようだった。一日の対応の遅れが誰かの命取りになることはままある。それが国の威信や存亡に関わることも……しかし、エリザベスはどうしても見つけ出さなければならない。今見失ったら、もう二度と自分のところへは戻ってこないかもしれない……

一番手前にあったドアにノックをしたが、中から返事はなかった。ドアノブに手をかけると、鍵はかかっておらず、扉が開いている。
「エリザベス! リジー!!」
大声でエリザベスを呼びながら中に入ったが、何も返事はない。部屋の中はほとんど全ての家具に布がかけられていて真っ白だった。扉の開いた続きの部屋が見える。
「リジー!」
シルヴィは奥の部屋へ入った。まるで図書室のようなその部屋は、壁一面に棚が備え付けられており、何かの筒が全ての棚に収められている。これは地図……!? まさか…… ジャン・ロワンの顔がちらついた。

そしてもう一度、部屋を見渡すと、部屋の隅に置いてあるマホガニーの机の向こう側に、片方だけの女性の靴が見えた。
「エリザベス!」
エリザベスは机の向こう側に倒れていた。頭の方へかがむと、エリザベスが頭から血を流していることがわかった。ああ、まさか……
「エリザベス! 返事をしてくれ」
シルヴィはエリザベスを抱きかかえ、何度も呼びかけたが返事はない。ただ、エリザベスは死んではいなかった。静かに呼吸をしているのがわかる。

後からやってきたアンドルーは、額を血だらけにしたエリザベスを見て血の気を失った。
「息はある。屋敷に連れてかえる」
シルヴィはそう言ってエリザベスを抱きかかえ、今乗ってきた馬車に乗せた。


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