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夜の庭 第四章 -8- |
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午後、ようやく口がきけるようになったばかりのエリザベスに話をさせるのはしのびないと思いながらも、シルヴィはあの時のことを話して欲しいとエリザベスに頼んだ。ストランドのあの部屋で一体何が起こったのか、それだけは聞き出さなければならない。ジャン・ロワンはもう地図を持って国外へ逃げてしまったかも知れないが。 「あの部屋にどうやって入ってきたのだ? 鍵をかけていなかったのか」 「ええ、鍵のことなど忘れていましたから、きっと開けっ放しだったのですわ。図書室にいたら、突然入ってきて、何かで殴られて……」 シルヴィは昨日、ストランドの部屋にあった書棚のものを全てスコットランドヤードに引き上げさせていた。が、やはりあの蛇と十字架の絵のついた筒は見つからなかったと聞いている。 「君を殴った相手はどんな男だった?」 「髪の茶色い、額にあざのある人でした」 シルヴィは頷いた。 「私もそいつの顔を見た。それで、君はあの図書室で何をしていたのだ」 その質問に、エリザベスは少しためらいを見せた。 「その……ちょっと、気になることがあって……」 「気になること?」 シルヴィは自分が何をやっているのか隠したまま、エリザベスに質問するのは難しいような気がしていた。しかし、知ってることはやはり話してもらわなければならない。 「ええ。実は……先日、あの部屋に立ち寄った時、ちょっと変わったものを見つけたのです」 エリザベスは父のジョージ宛にコヴェントガーデンの古書店から来ていた蛇と十字架の絵のついた筒のことを話した。 「中を見たのか」 「ええ、見ました。そしたら、地図が……フランスのピレネーの山裾の地図が一枚、それにたぶんそこにある要塞……ルブラン要塞……だったかしら……が出てきて……」 シルヴィは思わず息をのんだ。ルブラン要塞! 入り口の見つけられないあの要塞だ。 「でもそれだけではなかったのです。その要塞の地図のキャンバスが二枚がさねになっていて……もう時間がたっていたから剥がれて落ちたんです。もう一枚。それは、船の設計図でした」 シルヴィはため息をついた。 「それで、君はそれをどうしたのだ」 「その時は、元の筒に戻して、棚にしまっておきました。けどこの間、私が殴られた日……あの男に殴られる直前に、私はあの筒の中身を別の筒のものと移し変えておいたのです」 「なに!?」 「なんだか危ないもののような気がして……」 ああ、神よ。もしかして…… 「では、あの蛇と十字架の筒の中身は……」 「全然違うものですわ」 シルヴィは珍しく興奮していた。 「それでその筒はどうしたのだ」 「棚にもどしておきました。一番下の左から二番目の棚です」 あの部屋の地図の方の書棚は全部で十列、五段あった。スコットランドヤードが棚をきちんと分けて持って行ったかどうかはわからないが。シルヴィはエリザベスの手を取ってキスした。 「君のおかげで、例のものは持っていかれてないかも知れない。ああ、それにしてもよく気づいてくれた」 「それは……」 エリザベスは言いよどんだ。 「あのクラブで火事があった日……あなたに会う前、あの場所で、コールマン司令官を見たのです。彼がスラブ人と話をしているのを聞いて、あの筒の中身を彼らが探しているのではないかと……」 「コールマンとスラブ人? あそこにいたのか! 一体何を聞いたというのだ」 自分たちが見つけられないはずだ。コールマンたちはあの部屋にいた。 「本当にその地図なのか……と。スラブ人が司令官に訊いていました。そのことで二人は言い争っているようでした。ただ、それだけなのです。私が聞いたのは。でも、どうしても気にかかって……あの筒を開けたとき、どうして船の設計図がこんな風に地図に貼り付けられていたのか、まるで隠されているみたいでした……だから、あまりにもわかりやすいあの筒に入れていたら、誰かに持っていかれるのではないかと思って」 ああ、この女性には本当に驚かされる。シルヴィは天を仰いだ。 「君には恐れ入る」 シルヴィは笑って、隣の部屋に控えていたメイシーにエヴァンズを呼んでくるように言った。エヴァンズはシルヴィが書いた手紙をスコットランドヤードへ持って行き、そこで例の筒を探して来るように言いつけられた。プール警部補に使いを出すだけでは満足できない。本当に中身があるかどうか、この目で確認するまでは。 またもう一つ、エリザベスはシルヴィを驚かせた。コールマンと一緒にいた人物の似顔絵を描いてみせたのだ。絵に描かれた人物はニコライ・ドニエスク。シルヴィも良く知っている、ロシアの外交官だった。これはコールマンを追い詰める証拠の一つになる。軍法会議にかけられてもいいぐらいの話だ。 そうして二時間後にきっかり、エヴァンズは戻ってきた。手に黒い筒を持って。 |
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