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夜の庭   第五章   


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 気づくとエリザベスはベッドの上にいた。どういうわけか隣にシルヴィが眠っている。

ここはどこ? 

ベッドの上で首を少し動かすと、シルヴィが目を覚ました。
「――ああ……目が覚めたのか」
隣で自分の身体に腕を巻きつけているシルヴィが言った。
「君はずっと眠っていたんだ。今朝、ここに戻ってきてから」
「――ここは、どこです?」
「そうか、君は初めて来たんだな。ここはカロル城の中だ」
カロル城。ラトゥール・ドゥ・カロルの城。シルヴィは顔を持ち上げて自分の唇をエリザベスの上に落とした。

 その日の朝早く、シルヴィたちはカロル城に戻ってきたが、エリザベスは身体が冷え切って意識がなかった。ギボンの呼んだ医師はとにかくエリザベスの身体を温めるように言い、夏ではあったが、暖炉に火が入れられていた。

「顔をよく見せてくれ。私のかわいい人」
エリザベスの真っ青な瞳がシルヴィの瞳を見上げた。シルヴィの指が顔にかかった髪をすくようにして払う。シルヴィは自分の半身を起こしてエリザベスを見下ろした。額の傷もほとんどなくなり、顔に新しい傷はついていない。エリザベスの着ているものを取ろうと、シルヴィが胸の谷間の紐をはずしかけると、エリザベスがその手を掴んだ。
「身体を見せてくれ。リジー」
エリザベスは視線をはずして小さく首を振った。
「こんな明るいところで……」
震えるエリザベスの手をやさしくはずし、シルヴィは胸の紐を解いた。エリザベスを抱くつもりはなかった。ただ身体の傷を確認したかったのだ。医師が彼女を診ていたとき、シルヴィは部屋の外へ出ていて、後から身体に大分傷があることを聞いた。実際、エリザベスの上半身には、縄がずっと巻きつけられていた跡がみみずばれのようになって残っていた。腕は特に酷く、一番ひどくただれているところには包帯が巻かれている。シルヴィはその傷に自分の手を這わせた。

耐えるようにしていたエリザベスの目から涙がこぼれ落ちた。シルヴィははっとして言った。
「ああ、痛かったか?」
「――いいえ、そうではなくて……こんな姿を……あなたに見られたくなかった」
シルヴィはエリザベスの涙を指でぬぐって頭をそっと抱き、額にキスした。
「すまない。私がもっと気をつけていれば、君はさらわれたりしなかった」
「あなたは出かける前に、私に外出しないよう言われていましたわ」
シルヴィは小さくため息をついて、エリザベスの唇に自分のひとさし指をあて、そっとエリザベスの薄いガウンを元に戻した。そして、ベッドから出て隣に座った。
「賢い妻をもらうと苦労する。悪くないことを諭すのにさえ頭を使う。医師に来てもらって、もっと強い薬を出してもらおう。私の言うことにいちいち逆らわないよう」
エリザベスが声もなく笑うのに、シルヴィの唇がまたそれをふさいだ。
「早く良くなってもらわねば。私がこんなに長い間お預けを食らうなど、考えられないことだ。新婚だというのに」



 シルヴィたちが命からがら逃げ出したルブラン要塞は、フランス軍がことごとく外から破壊していた。ジャッキー・フィッシャーは攻撃が始まったとき、これをとめようとしたが、フランス軍の司令官は次の行軍があるのでといって予定を譲らなかった。そして何の計画もなく、ただ要塞の外側を攻め続けた。結果、要塞の中にあいていたトンネルはほとんどが崩れ落ち、破壊されつくしてしまった。水路の方からボートで逃げ出したパリ・コミューンの残党は、山の中に待機していたイギリス兵に全て捕らえられ、フランス軍に引き渡された。幸いにしてその中には町から来ていたものは含まれていなかった。フランス軍は彼らをパリに連れ戻し、裁判にかけることになっている。そこでギロチンが待っていることは明らかだった。


 その日の夕食後、シルヴィはピアソンの部屋を訪れた。組織を辞める話をするためだった。ピアソンはそれを察してか、その場にローン候を呼んでいた。二人で自分を説得しようというのか。シルヴィは用心しながら自分は組織を辞めると切り出した。

「そんなことを言い出すんじゃないかと思ったよ」
ピアソンはグラスを三つ並べて、それになみなみとウイスキーを注いだ。ジョンは既に葉巻を吸い始めていて、シルヴィの話にぴくりと眉を動かした。
「ああ、やめる。外務省も。こんな恐ろしい組織に身を置いていたくない」

「恐ろしい組織だと? ひどい言い様だな」
ピアソンがフンと鼻を鳴らした。
「私は、コールマンが殺されたのを知ったとき、あなたがやったのかと思った。大体あの男が軍法会議にかけられたら……」
ジョンがエリザベスのことを知っているのかどうかわからないでいたシルヴィはそこで口をつぐんだ。
「そうだ。もしレドナップが殺していなければ、私が殺した」

シルヴィはピアソンとにらみ合ったが、ジョンがそこへ割って入った。
「シルヴィ、残念だがそれは無理だと思うな」
葉巻を脇において、ジョンがピアソンの差し出したグラスの中身を一口飲んで言った。
「これはうまい。どこのスコッチだろうね?」
ピアソンは「さあね」と言いながらシルヴィにもグラスを差し出した。
「外務省はともかく、組織を辞めるのは無理だろうな。たとえ私たちがいいと言っても、バーティが許さないだろう」

シルヴィはもらったグラスをグラスを一気に空けた。この二人にやられっぱなしで帰るわけにはいかない。ところが、葉巻を堪能していたジョンの言葉に、シルヴィは二の句が継げなくなった。
「シルヴィ。よく考えてみたまえ。私たちは義理とは言え、もう兄弟になったのだよ」
シルヴィはまたピアソンを振り返ってにらんだ。やはりばらしていたのだな。
「バーティもだが、うちのルイーズもこれに関わっている。君が抜けるなんてことを彼女が許すと思うか?」
シルヴィははっとして押し黙った。バーティのことは考えないではなかったが、ルイーズのことをすっかり忘れていた。ルイーズはあの兄弟のうちでは最も女王に影響力があるのだ。場合によってはバーティより、その力は大きいかも知れない。
「今ごろ、思い出したのか」
ジョンはあきれて苦笑いしている。
「だから、辞めることなどできないのだよ、シルヴィ。外務省の方はどうしてもというなら何とかしてもいいが」
ピアソンが首をすくめた。
「はっはっは。そういうことだ、兄弟」
シルヴィの肩をたたいてジョンが笑った。

シルヴィは奥歯をぎりぎり噛んでいた。全く……いつもこいつらの策略にはめられる。身分を盾に取って、最後には逃げられなくするのだ。
ウイスキーデキャンタをひったくるようにしてピアソンから取り上げたシルヴィは、自分のグラスにあふれるほどそれを注いだ。



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