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夜の庭 第五章 -7- |
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朝食へ向かう前、ジャッキーがシルヴィのところへやって来て、コールマンの姿が見えなくなったと告げた。 「いよいよ動き出したか」 ジャッキーの話では、明るくなり始めた頃にコールマンが城の外に出て行くのをフィッシャー隊の歩哨が見ていた。司令官には声を掛けたが、どこへ行くとも言わなかったらしい。 「もし要塞へ行っていたら知らせが来るはずなのですが」 「あるいはレドナップに会いにいったか。もっと明確な手がかりを持っているかと思ったが、そうでもなさそうだ。もし戻ってきたら、もう捕らえておいた方がいいかもしれないな。これ以上うろちょろされて、後で厄介なことにならないように。君も彼に逃げられると困るだろう?」 「そうですね」 上官ではあるが、逮捕するにあたっては既にデイ提督からの指示は受けているジャッキー・フィッシャーはそれでも気楽な気分でいた。 朝食の後、シルヴィはギボンに頼んで信頼できる絵描きを呼んでもらった。自分の持っている地図を複製するためだった。シルヴィは地図をそっくり写させ、元の地図から要塞の中に通じている道と十字架と蛇の印を消し去った。そして、中に網の目のように張り巡らされている通路の、まだ作りかけのように見える一端にその印をあらためて付けさせた。そんなことをしている最中に、オラス・ルーベがイギリス人の女性がレドナップという男に要塞に連れて来られたという情報を知らせてきた。 やはりレドナップが……昨日、ピアソンからその名前を聞いたとき、誘拐したのはレドナップではないかと思っていた。あの時に仏心を出さずに始末していれば、こんなことにはならなかったかも知れない。シルヴィは唇をかんだ。 「レドナップ? あなたとミセス・グロブナーを争った男ですか?」 ヘンリーはレドナップについてはほとんど何も知らない。 「そうだ。実を言うと私も驚いている。レドナップは確かに怪しい男だったが、昨日、ピアソンにあの男がコールマンの手先だと聞くまで、この話にかんでいるとは思っていなかったのだ」 シルヴィはヘンリーにピアソンから聞いたことを伝えた。 「それで、この地図の本物を渡すのですか?」 ヘンリーが訊ねた。 「ああ、この古い地図がまさか手を加えたものだとは思うまい。上手に消しているだろう? 私たちはこの地図で十分だ」 彼らにとっては残念なことに、設計図は彼らの知らない通路の途中にあった。また複製を作った絵師は、この件が片付くまで城に留め置くよう、ギボンに言ってある。 「急がなければ。フランス隊は今夜にはここへ到着するし、攻撃が始まるまでにはできれば設計図を手に入れておきたい」 シルヴィはヘンリーとジャッキー・フィッシャーを交えて昨日の夜のうちに計画を練っていた。レドナップには偽の地図を渡し、自分たちは例の通路に入る。レドナップが簡単にエリザベスを返すとは思えないが、レドナップや要塞にいる人間が地図に書かれた設計図を探している間に食料貯蔵庫と通路の穴を開け、中に入り、フィリップを探しに行く。もしエリザベスが一緒にいれば、助けられるかも知れない。今夜、ここへ到着するフランス隊とイギリス海兵の部隊は明日の朝から要塞に攻撃を仕掛け、パリ・コミューンの残党を要塞から追い出す。エリザベスがもしフィリップと一緒にいなければ……それは考えたくなかったが、自分の妻は最後になるかも知れなかった。 夕方、シルヴィはヘンリーとジャッキーを伴ってギボンに教えてもらったとおり、城の北側にあるポン・ブリュネの近くまでやってきた。そこはカロル川にかかる小さな橋で、城を出てすぐのところにあるが、橋の北側にはラトゥール・ドゥ・カロルの町の壁が続いていて行き止まりになっている。ポン・ブリュネには一人でこいとあったので、シルヴィはヘンリーとジャッキーを城の近くに残して橋の近くまで歩いてきた。橋の上でしばらく待っていると、七、八歳の男の子どもが一人やって来て、シルヴィに羊の皮の袋を渡した。 「これをおじさんに渡してこいって言われた」 シルヴィは子どもから受け取った皮袋を開けた。中にはメモが一枚。 地図をその袋に入れて、橋の上から川に流せ。エリザベスは、設計図が手に入ったら返す。 なるほど、よく考えたものだ。この橋の上から皮袋を落とすと、それは川の流れに乗って、すぐ町の壁の下をくぐって外へ出てしまう。自分たちが壁の外へ出るためには、大きなはしごを持ってきて壁を超えるか、ぐるりと町を一回りしてラトゥール・ドゥ・カロルの入り口から外へ出なければならなかった。シルヴィは仕方なく地図を皮袋に入れ、しっかり口を閉めて橋の上から落とした。皮袋はすぐ流れていって、壁の向こうへ行ってしまった。 「これ渡したら、おじさんが小遣いをくれるってあの人が言った」 子どもがシルヴィの服の端を持って引っぱった。シルヴィがかがんで訊ねる。 「ああ、わかった。一つ聞かせてくれ。一体どんな男が君にこれをたのんだのだ」 「どんなって、茶色いもじゃもじゃの髪の毛の人だよ。鼻がつーんってとんがってるの」 ――レドナップだ。間違いなく。 シルヴィは大声でヘンリーとジャッキーを呼んだ。小銭を持っていなかったシルヴィのかわりにジャッキーが子どもに硬貨を何枚か与えた。 「さて、これからは時間との勝負だ」 エリザベスは戻ってこない。もちろん。それはわかっていたことではあったが。 その後三人は一旦城へ戻った。シルヴィとサー・ヘンリーは粉引き小屋へ行くため、町の人間に紛れても素性がわからないよう、服を着替えた。城の兵士たちは明日の攻撃に備えて銃器の手入れをはじめていて、戦闘前の異様な雰囲気が漂っている。 要塞へ入る準備をしている最中に、メアリーがシルヴィの元へやってきた。 「とうとう、ここまできましたわね。ただ、今更ですけれど、私、一つお願いがありますの」 いつもの力強い様子と違ってメアリーの様子は沈んでいた。 「さて、私の力の及ぶところかどうかわからないが」 シルヴィはメアリーにやさしい笑顔を向けた。 「どうぞ、ご無事で帰っていらして。もし私の夫がどうにかなっていたとしても、あなたにはどうしても帰ってきていただかねばならないわ。私の夫とあなたご自身の命を天秤にかけるようなことがあるなら、どうぞあなたはご自分を大事にしてください。私、そうでなくてもあなたの奥様に大きな借りがありますのよ」 シルヴィは自分の妻が攫われてここへつれて来られていることを口止めしていた。メアリーは当然、このことを知らない。 「もちろん、死ぬつもりはない。私も、あなたの夫も」 メアリーは作法も構わず、シルヴィの手を取り、強く握った。 「どうぞご無事で」 大嵐になっている心の中が見えるようだとシルヴィは思った。これから要塞に入る自分はただ仕事をするだけだ。興奮していないと言えば嘘になるが、それでも表面上は穏やかさを保っていられる。しかしメアリーは、ここにたどり着くまでに六年もかかった。自分で手を下すこともできず。それでも必至にできることをやってここまでやってきたのだ。最後の最後になって、夫の命と天秤なら自分を優先してくれと言わねばならない、その歯がゆい気持ちを何とか抑え込んでいる。気の毒なメアリー。シルヴィは二人を連れて、どうしても無事に帰らなければならないと思った。 粉引き小屋へはオラスと一緒に行くことになっていたが、オラスは要塞から呼び出しがかかって戻れず、オラスの妻のアニエスが代わりに城へやってきた。二人を見るなりアニエスが言った。 「あーらま、服は平民だけど、顔は二枚目がすぎて目立つね、これじゃ」 ロード・シルヴィとサー・ヘンリーは顔を見合わせて笑った。 「ちょっと、顔に塗ってもらったほうが良いかね」 アニエスは中庭の泉で手をぬらして地面の土をつけ二人の顔に塗りつけた。 「でも、もう日が落ちてるじゃないか」 さらに泥を塗ろうとするアニエスの手をよけるようにサー・ヘンリーが言った。 「人に見られたら、あんたたちは良くても私が困るんだよ。使われてない埃だらけのところだし、どうせ帰ってきたら、埃か土かわからなくなってるさ」 最後に二人の髪を汚れた手ですいて、アニエスは満足したようだった。 「なかなかいい男だよ」 「元からいい男なんだよ」 サー・ヘンリーが迷惑そうにつぶやいた。 |
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