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夜の庭   第五章   


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 一方、地図を手に入れたレドナップはルブラン要塞へそれをもって帰った。レドナップは自分が入り口を出入りしたことを、フィッシャー隊の見張りが報告していたとは全く気づいていなかった。持ち帰った地図をパリ・コミューンのリーダー、マチアス・カレに渡すと、カレは地図の匂いをくんくんと嗅いだ。
「本物か? なんだか絵の具のにおいが新しいような気がするが……おい、あの男を連れてこい!」
カレはそう言って、フィリップをその場へ連れてこさせた。

「これを見ろ。これはおまえが書いたものか? それとも死んだあの男か?」

弱りきったフィリップは何のことを言っているのか、始めはわからずにいたが、地図を前にはっとした。

「なるほど、見覚えはあるらしい。よろしい、それで、この要塞のどこに設計図が隠してあると言うのだ。もう何度もこの男に同じ質問をしたが、この男はポーが隠したと言いつづけてきたのに」
カレはレドナップの方を向いて訊ねた。
「――ここに……この紋章……」

その場にいた皆が地図を覗き込む。
「これはド・ラロルシュ伯爵家の家紋かな? なにやら見覚えがある。その身にいつもつけているドロップも同じ柄ではなかったか」
カレは嫌がるフィリップの首から下がっていたペンダントを目の前に持ってこさせ、地図に書かれた図柄と見比べた。

「では、やってみようか。本物が出てくるかどうか」
カレはフィリップの方を見ながら不気味に笑っていた。
「連れて行け」



 アニエスの案内で、城を出て市中へ入った二人は、これから始まる要塞への攻撃など、何も知らされていない市民がのどかに生活しているわきを通っていった。アニエスはそれでも町の裏通りの目立たない通路を選んでいたが、途中、町中を流れるカロル川の岸で人が大勢集まっているところに出くわした。「なんだろうね」と言ってアニエスは建物の影に二人を置いて様子を見に行った。

 しばらくしてアニエスは戻ってきたが、暗い顔で二人に言った。
「あんたたちの知り合いじゃないのかい? イギリスの将校さんみたいだよ」
シルヴィとサー・ヘンリーは土手の上に昇って人々の集まっている方を見た。その真ん中にぼうっと白い顔で横たわっているのは、紛れも無くコールマンだった。

二人は声もなくお互いの顔を見た。明らかに死んでいる。水死? コールマンが?
「胸を撃たれてたよ。大きな穴がコートに開いてて」
二人の後ろからアニエスが言った。

「一体誰に? レドナップですか?」
アニエスに案内を続けてもらうようシルヴィが手で促した。
「可能性は高い」
サー・ヘンリーの問いにシルヴィはそれしか言わなかった。レドナップが……コールマンを? おそらく、脅されていたから。妻を二人も殺したと。しかし……


 何枚かの板を無造作にはずしてアニエスは古い粉引き小屋の中に入った。中はアニエスが言ったとおり埃だらけだ。三人は顔の前を舞う粉か埃かくもの巣かわからない何かを手で払いながら小屋の真ん中へやってきた。
「さあ、ここで何をするつもりか知らないけど、私の仕事はこれで終わり。じゃあね」
アニエスはシルヴィたちが「ありがとう」と言うのを背中で聞いて片手をあげて出て行った。自分たちが何をしようとしているのかは、おそらく知っているだろうとシルヴィは思った。


 地図によると、この粉引き小屋から要塞の口までは直線距離にして約半マイル。二人は粉引き小屋の床をどんどん踏んでまわり、地下に続いていそうな場所を探した。しかし、床は固い土の上に敷かれた木の板で空洞になっていそうな所は見つからなかった。
「床をはがしますか?」
シルヴィは首を振った。
「いや、先にあっちを探そう。その物入れの中と、はしごの下」

シルヴィがはしごの下に置かれている古い農機具を片付けている間に、ヘンリーは物入れの扉を開け、埃だらけになった鍬や鋤と格闘して中身を放り出し、ふかふかする床を見つけた。そこだけ何故か敷物がしかれている。それをめくって、取り出した鍬の端で床をこじ開けたヘンリーは、ついに入り口を発見した。
「シルヴィ!」

 ランプの灯火を少し大きくして、二人は穴の開いた床の下に入っていった。入り口は狭かったが、中は人が三人は優に通れる広さだった。その時々で目的は変わってきただろうが、14世紀から掘り続けられたというその通路は、明らかに兵士が通るために作られたのだ。中の湿度は高く、始めはそれほどにも感じなかったが、気づくと二人とも額に汗をかいていた。十分もたっただろうか、通路が終わりに至った。奥に板が打ち付けられ、その手前に大きな木材で封印がされていた。

手に入れた地図によると、ド・ラロルシュの紋章はこの辺りにつけられている。
「一体、どこに……」
ヘンリーが封印された木材を引っ張ったり押したりしてみたが、全く動かない。
「はがして開けてみよう。 たぶん、この壁の向こうが食料貯蔵庫だ」
シルヴィが言ったのにヘンリーも頷いた。粉引き小屋から持ってきた鉈を木材に何度も打ち込んで割り、引っぱってこじ開ける。シルヴィとヘンリーは、普段力仕事などしないので、すぐ手に水ぶくれができた。二人でそれを見せ合って笑いあい、それでも鉈を振るいつづける。

 結局、二人は一時間近く働きつづけて汗まみれになった。そしてついに封印されていた木材を取り除き、その奥の板をはがした。そこに出てきたのは、レンガを積み上げた壁だった。

壁にランプの光をあてて良く見回すと、岩盤とレンガの境目に何かが差し込まれている。端の方を少しずつ削っていくと、どこかで見たような紋章のついた皮袋が出てきた。慎重にそれを引っ張り出した二人は顔を見合わせた。
「さて、これが本物だといいんだが……」
実際、そうでなければ困る。ここに来るまでに外務省を説得し、海軍に手を回し、何人もの人間を引き連れて行軍までさせたのだから。もちろんスエズの安定のためと言う表向きの大義名分はあったが。


 シルヴィは自分の顔と手をまず服でぬぐった。そして皮袋の端を開け、そろりと中身を取り出した。出てきたのは丁寧に蝋引された紙で包まれ、二つ折りにされた軍艦設計図の冊子だった。
紙が汚れないように慎重に平らなところへ置き、紐で閉じられた表紙を開ける。地図に貼り付けられていたのとは、全く内容の違う図面が数十枚。二人はその細かさに目を見張った。

「どうやら本物らしいですね」
ヘンリーが言った。
「そうだな」

 この設計図自体がほとんど美術品のようにさえ見える。シルヴィは一通りページをめくって内容を確認した後、再び表紙の紐を閉じ、蝋引き紙で包みなおして元の皮袋にしまった。腰につけてきた懐中時計を引っ張りだし時間を確認する。
「九時。もうこんな時間か。早くこの壁を何とかしなければな」
そろそろフランス隊も着く頃ではないだろうか。カロルの城に必要以上に兵士が集まっていることを要塞に早くに悟られないよう、フランス隊は夜、ラトゥール・ドゥ・カロルに入場することになっていた。

 ヘンリーが自分の持ってきた荷物の中から鑿と金槌を取り出し、積み上げられたレンガの目地の一角に打ち込んだ。何度か繰り返すと、レンガが一つ外れ、二つ外れ、あとは差し込んだ手で次々にはずせるようになった。しかし、レンガの壁は一枚ではなく、二枚だった。始めの壁のレンガを全て脇へよけると、ヘンリーは二つ目の壁へ差し掛かった。用心しながら鑿を入れる。できれば金槌を打つのは一回か二回にしたかった。オラスは食料貯蔵庫に見張りはいないといったが、誰かに聞かれる可能性は否定できなかった。

 めぼしをつけたレンガの目地を掘り出すようにして、ヘンリーは二枚目の壁の一つ目のレンガをじりじりと抜いた。その先には木箱のようなものが見えていたが、どうやらそこはもとは暖炉だったようだ。つまり、彼らは暖炉の奥に通路を作っていたのだった。




「エリザベット!」

向かいの房に戻されたばかりのフィリップが小声で呼びかけた。
「エリザベット、聴こえるか?」
耳慣れない呼ばれ方で自分が呼ばれたのに、気づくのが遅れた。エリザベスも同じように耳を済ませていたのだ。通路の先につながる別の回廊の先で、彼らは鉈を振るっていた。そこは掘りかけの通路で、板が何枚も打ち付けてあった。彼らは何かを掘り出そうとしているのだ。
「ええ、聴こえています。彼ら……何を探しているの? まさか地図を手に入れたの?」
「そうだ。さっき、私とポーが残した地図を見せられた。しかし、隠し場所は別のところにしるしがつけてあった。町とつながる地下道も消されていた」

シルヴィ! 彼がきっとそうしたのだわ……エリザベスは何の確信もないまま漠然とそう思った。助けに来てくれるのだろうか。もし、彼らを欺こうとしているのなら、それはほんのしばらくの間のことだ。ああ、神様。どうか彼が危険なことをしませんように。

そう思った次の瞬間、要塞の中に、どーんと大きな音が響いた。そしてまるでさざなみのように足元に振動が来て揺れた。エリザベスは恐ろしさに口が聞けなくなった。

一体、何が始まったの? 通路の先の彼らも一瞬、鉈を振るうのをやめた。その後また、同じように大きな音と振動が要塞を襲った。




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