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夜の庭   第五章   


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 初めの衝撃が来たすぐ後、二人は自分たちがやってきた通路の奥から誰かが息を切らせて走って来るのを見た。
「ロード・グロブナー!」
やってきたのはフィッシャー付きの士官候補生だった。
「艦長から伝言です。ついさっき、フランス隊が到着したのですが、彼らは朝まで待たないと言って、攻撃を……」
言いかけたその時に二回目の衝撃が来た。三人は腰を低くして頭上からぱらぱらと崩れ落ちてくるものに備えた。

まずいことになった。初めの攻撃は彼らを脅すだけの予定だった。要塞の中にいる人間に警告をし、もし投降しないなら、さらに攻撃する。
「フランス隊はどういうつもりで……」
「時間を早めるだけと言っています。艦長は止められたのですが……」
ならば本当の攻撃が始まるまではまだ間がある。と思ったその時、三度目の衝撃が来た。

「何回撃つつもりだ!」
ヘンリーが怒って言った。
「おそらく、最低八回はきます」
士官候補生が言ったとおり、衝撃は八回続いた。一回や二回ではここがやられるかもしれないという緊迫感は生まれないかもしれない。さすがに八回も続くと、天井の岩が落ちるのではないかという恐怖にも駆られる。シルヴィは衝撃がおさまると、彼にもレンガをはずすのを手伝わせ、三人で汗だくになってようやく貯蔵庫の中へ人が一人通れるくらいの穴をあけた。

 その後シルヴィは士官候補生をフィッシャーの元へ帰らせた。攻撃が始まってしまったら、作戦は止めようが無い。今、警告が済んだから、投降を始めさせるまでに予定では三十分ほどの時間を置くことになっている。オラスからは食糧貯蔵庫からフィリップが閉じ込められているであろう場所の行き方は大体聞いている。彼らが投降しないとなれば隣の武器庫に武器を取りに来るはずだ。急がねば、ここから出られなくなる。

シルヴィとヘンリーはようやく貯蔵庫の中を抜け、オラスが開けておいてくれた貯蔵庫の扉を開けて通路に出た。最後の警告から既に十五分は経っていた。通路に出てすぐ、シルヴィたちはオラスと出くわした。オラスは慌てて二人を食料貯蔵庫に押し戻した。


 山のように詰まれたジャガイモの箱の裏で、オラスは二人に吐き出した。
「あんたたち、一体、どういうつもりだ! 警告は朝五時に始めると言っていたじゃないか! 初めから俺たちを見殺しにするつもりだったのか? コミューンの奴らは死ぬ気はないから、たぶん投降すると見せかけて、自分たちはここの湧き水の水路から逃げるつもりだ。それなのに俺の仲間たちはあのレドナップとかいう男と一緒にトンネル掘りに行かされたきりだ。投降する見せ掛けに使われるってことだ。本当に生きてここを出られるかどうかもわからないのに」
「言っておくが、攻撃を始めたのは第三共和国軍だ。それに湧き水の出口はイギリス軍が待機して待ってる」
興奮しているオラスを刺激しないよう、シルヴィが静かに反論した。
「何でもいい、俺は仲間を助けに行く」
オラスはそう言って、二人を置いていこうとした。残り時間が少ないことをオラスも知っている。
「おい待て! その前に私たちをフィリップ・ド・ラロルシュのところへ連れて行ってくれ」
オラスはあからさまに嫌な顔をしたが、一瞬迷ってから自分の腕を振り、ついて来いと合図した。

「あの男のことを狂人だと俺は言ったが、それは間違いだったかもしれん……」
湿っぽい通路を急ぎながらオラスが言った。要塞の中はコミューンの男たちが荷物を持って逃げる準備のために上を下への大騒ぎとなっていた。見慣れない男たちが来たことに気づいてもよさそうなものだったが、さっきの警告弾で頭上から降ってきた土で皆、顔が汚れており、誰が誰なのか見分けもつかない状態だ。
「どうしてそう思ったのだ」
シルヴィが後ろから訊ねた。
「レドナップが持ってきた地図を見せられた途端、顔つきが変わった。たぶん、マチアス・カレも気づいただろう。そんなことを知っても、もはや遅いが」
フィリップが正気であるとすれば、それは良い知らせだ。メアリーも安心する。シルヴィはメアリーを思う一方で、自分の妻のことを思わずにはいられなかった。




 オラスが連れて行った通路の先には確かに鉄格子のはまった房のような部屋が見えた。一番手前の房の前まで来たとき、また砲声がして、地響きがした。フランス軍を止められないのだ。シルヴィは唇をかんだ。
砲声がやむと、房の中から「誰だ!」と声がした。
「――私はシルヴィ・グロブナー。あなたがフィリップ・ド・ラロルシュ?」
ヘンリーとシルヴィは格子に近づいた。頭は白いし着ているものもぼろぼろだが、そこにいた男は正気だった。
「そうだ。では、君がエリザベットの夫……君の妻は、あのイギリス人の男に連れて行かれた。まだ逃げてはいないだろう。たぶん、穴を掘ってる。聞こえるだろう?」
ヘンリーが自分が持っていた鉈で牢の錠前を壊し始めていた。思い切り振るった鉈の刃先はぼろぼろになったが、三度ほど振り下ろすと錠前は壊れて下に落ちた。

「ヘンリー。君は彼を連れて、今来たところを戻れ。これを持って。今ならまだあのトンネルが使える」
「でも……」
シルヴィは躊躇しているヘンリーに自分の持っていた皮袋の設計図を押し付けた。
「俺はもう行かせてもらう。ぐずぐずしてられない。このままだと仲間が死んでしまう」
オラスがヘンリーの返事を待たずに鉄槌の音のする通路へ走っていった。シルヴィはヘンリーに「早く!」と言って、自分もオラスの後を追いかけた。



 オラスとシルヴィが急いでいた通路の先には、シルヴィがつけたド・ラロルシュの紋章の地図をくしゃくしゃにしながらいきり立っているレドナップとマチアス・カレがいた。
「早く掘れ! どうしてそんなにとろとろやってるんだ! イギリス軍はもうそこまで来ているんだぞ!」
レドナップの叫び声が悲鳴のように聞こえる。男たちはそれでも汗だくになって、固い壁の煉瓦を割ろうとしていた。その間にも砲弾は続けて打ち込まれ、そのたびに地響きがして、頭から水やら岩の小さい粒がぱらぱらと落ちる。

「もういい。やめろ」
いつまでたっても出てくる気配のない設計図に業をにやしたマチアス・カレが言った。
「設計図など出てこない。だまされたのだ」
カレがレドナップをにらんだ。レドナップは一瞬ひるんだが、どうしてもあきらめきれなかった。
「いや、絶対にある! グロブナーがこの女を見捨てるはずがない。 やめるな! 続けろ!」
自分が逃げるときの人質にするため、レドナップはエリザベスを後ろ手に縛ってそこへ連れてきていた。エリザベスは岩の固い地面い打ち捨てられ、事の成り行きを怯えながら見ていた。

男たちはもはや動こうとはしなかった。カレの言うとおりだと思っているのだ。


 シルヴィとオラスはこの時、通路の陰に息を潜めて自分たちの出て行くタイミングを計っていた。彼らはこのまま仲間割れするか、一緒に逃げるか……いずれにしてもこの通路の壁が落ちる前に何とかエリザベスを助けなければ……


また地響きがした。続けざまに三度。そこにいた男たちは姿勢を低くして次の砲撃に備えた。

「残念だが、君はもう用済みだ」
カレが自分の懐からリボルバーを取り出してレドナップに向けた。レドナップはひるんで後ろへ下がったが、次の砲撃が始まった。カレがねらいを定められずにいるところを、自分の拳銃をすばやく取り出してレドナップがカレを撃った。カレは何も言わずに後ろにひっくり返って倒れた。砲撃がひどくて拳銃が発射された音もかき消されていた。

「さあ! 掘れ! 手を止めるんじゃない!」
地響きが続く中、レドナップはまるで気が狂ったかのように叫んでいた。男たちは砲撃とレドナップの拳銃に怯えて壁際に下がった。


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